広がり、広げるブルーノ・ムナーリの本
美術系の高校を出て、そのまま武蔵野美術大学の視覚デザイン科に進みました。当時ハマっていたのは、アメリカのサブカルチャー。レコードジャケットのデザイン、イベントのフライヤーのレタリングなど、平面上の表現をいかにかっこいいものにするか、を考えていて。そんな頃に、大学の授業で見せてもらったのが、ブルーノ・ムナーリの絵本『きりのなかのサーカス』でした。
美術系の高校を出て、そのまま武蔵野美術大学の視覚デザイン科に進みました。当時ハマっていたのは、アメリカのサブカルチャー。レコードジャケットのデザイン、イベントのフライヤーのレタリングなど、平面上の表現をいかにかっこいいものにするか、を考えていて。そんな頃に、大学の授業で見せてもらったのが、ブルーノ・ムナーリの絵本『きりのなかのサーカス』でした。
29歳のころだったと思う。私の住む富山県のおとなり石川県に、「金沢21世紀美術館」がオープンした。デザイン道場のような、デザイン愛いっぱい・厳しさいっぱいの会社を7年で辞めて、2年ほどたった頃だった。
小学生の頃、何かいいことがあると決まって連れて行ってもらえたのが、デパートのサンリオショップでした。お店の世界観もさることながら、グッズの展開に心を奪われていて。
この取材の依頼が来て、何を挙げようか色々と迷ったのですが、鈴木康広くんの「ファスナーの船」にすることにしました。
高知県出身の僕は高校卒業後、県内のデザインの専門学校に通っていました。その頃はエディトリアルやグラフィックデザインの仕事を目指していたわけではなく、卒業後は県内の印刷会社のデザイン部に就職。封筒や名刺、飲食店のDMなどのデザインの仕事が中心でした。
20年ほど前に出会い、それからずっと惹かれ続けているのが、M.B.ゴフスタインの絵本の数々です。彼女は1940年にアメリカで生まれ、2017年の12月20日、77歳の誕生日に亡くなられました。
22歳の時、新卒で入社したレコード会社をやめて、ニューヨークに行きました。音楽の世界から、念願だった映像の世界に飛び込んだんです。映像制作の編集アシスタントとして担当していたのが、カイロンという機械。生放送の「LIVE」という表示やテロップ、映画の字幕やエンドロールなどを入力するものですね。そこでフォントのことやカーニングの方法などを叩き込まれました。
1975年、僕が高校を卒業して、前の会社写研に入社したころ。好きだったのは、橋本和夫さんが手がけた本蘭明朝でした。本蘭明朝は、クールで表情をあまり持っていないのが特徴。田舎から都会に出てきたばかりの僕は、その都会らしいドライなフォントに惹かれたんでしょうね。
ミナ ペルホネン(以下、ミナ)を知ったのは、今から10年以上前。キリンビバレッジに入社してからだったと思います。服のデザインはもちろん、丁寧につくられていることが伝わってくるテキスタイルに惹かれ、展覧会に行ったり本を読んだりするようになりました。
大学の卒業制作に取りかかる頃、アイデアを探す過程で近代デザイン史以前の表現を模索している時期がありました。デザインという言葉が生まれる以前にも私たちが気付けていないだけの素晴らしい表現が大量に眠っているはず、また現在まで資料として残っているものは時代を問わずに疎通の測れる純度の高い表現なのではないかと仮定をして研究をしていました。