心に刻んだ1ビジュアル、1メッセージ
大学3年生の頃に毎日デザイン賞に応募するため、新聞広告をつくる授業がありました。当時の僕は世の中のシステムにイライラしていて、その怒りや恨みをぶつけるように、タイポグラフィだけで社会問題を訴えかける広告をつくったんです。
大学3年生の頃に毎日デザイン賞に応募するため、新聞広告をつくる授業がありました。当時の僕は世の中のシステムにイライラしていて、その怒りや恨みをぶつけるように、タイポグラフィだけで社会問題を訴えかける広告をつくったんです。
私がデザイナーになろうと思ったのは高校3年生のときでした。通っていた学校は美術系ではなく、朝の6時から補習があるほどの進学校。勉強漬けの毎日に「このまま大人になるのはつまらない。脇道に逸れたいな」と思うようになり、面白いほうへ逃げるように美術系予備校の夏期講習へ通いはじめました。
子どものときから、とにかく漫画好き。小学生のときは漫画家になりたいと思っていました。特に荒木飛呂彦さんの『ジョジョの奇妙な冒険』にはすごい影響を受けて、Gペンを買って、ずっと模写していたほど。でもストーリーが思いつかず…。漫画家になるのはあきらめ、イラストレーターを目指しました。
いまから20年ほど前、まだ学生だった頃。駅から自宅までの帰り道で、飲料の自動販売機が目に止まりました。その側面には、今まで見たことがないアメコミ風のイラストが描かれていたんです。それを見た瞬間に、僕は思わず「あ、ペプシマンだ」と言いました。
今から3年半ほど前、東京都現代美術館で開催された「MOTアニュアル2012 Making Situations,EditingLandscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」展の広告を電車内で見かけました。作品のビジュアルはなく、文字だけで構成されたストイックなデザイン。
入社して5年ほど経った頃、ようやく独り立ちする機会を得ました。とはいえ、これから自分が何をするべきか、どうやればいいのか、日々暗中模索していました。そんなとき、書店で手にしたのが『流行通信』です。ロゴも表紙もこれまでとは全く違うデザインに変わり、雑誌を開いた瞬間に「うわ、これはすごい!」と驚いたことを覚えています。
僕はいま個人としての活動「KIMURA」「明和電機」「TASKO」という3つの活動の場があります。いずれも機械に関わることに違いはありませんが、活動内容は少し異なります。その中で自分の原点ともいえるのが、「KIMURA」名義でつくる“歩く機械”です。
「趣味は何ですか?」と聞かれたら、迷わず「ゲーム」と答えるほどのゲーム好き。中でもセガのゲームが大好きで、ドリームキャストのソフトはほぼすべてやり尽しました。
子どもが見て、素直に喜んだり驚いたりするような広告をつくってみたい。そんな風に考えるきっかけとなり、デザイナーとして影響を受けた作品が「としまえん」の新聞広告「史上最低の遊園地。」です。
会社に入り、自分でお金を稼げるようになったとき、週末ぐらいは少し高いビールを飲もうと思いました。そのとき、近所のスーパーで手にしたのがハートランドビール。