デザインに「不可能」なんて、ありえない
これはアディダスのImpossible Is Nothing. キャンペーンのポスター。モハメド・アリ渾身のガッツポーズにアリ自身の言葉を載せています。アリは不可能という言葉が嫌いでした。この言葉を同社のスポーツに対する姿勢と重ね合わせています。
これはアディダスのImpossible Is Nothing. キャンペーンのポスター。モハメド・アリ渾身のガッツポーズにアリ自身の言葉を載せています。アリは不可能という言葉が嫌いでした。この言葉を同社のスポーツに対する姿勢と重ね合わせています。
正月広告といえば金色や赤色などおめでたい色に彩られた華やかなものをよく見ます。でも、井上嗣也さんが手がけた89年のパルコの正月広告“Tree〞は、モノトーンでざらっとした巨木の質感とその存在感に圧倒される、およそ華やかな正月らしさとは無縁のポスターでした。
白い背景の上に置かれた、血に染まった軍服。おもわず目をそらしたくなる強烈なビジュアルは、旧ユーゴスラヴィアの内戦で戦死した兵士の遺品です。これはイタリアのアートディレクター・写真家のオリヴィエーロ・トスカーニが94年に手がけたベネトンのグラフィック広告で、日本を含む世界50ヵ国の主要な新聞に出稿され、話題を集めました。
1990年4月1日、僕が博報堂に入社したその日、大貫卓也さんが手がけたとしまえんの「史上最低の遊園地」が出稿されました。
『Chairman Rolf Fehlbaum』は、椅子メーカー ヴィトラ社のオーナーであるロルフ・フェールバウムの業績を称えたビジュアルブックです。
このデザインを見たときに、すごく嫉妬を感じたんですね、「くやしい!これは僕がやるべきだ!」って(笑)。そのくらい特別な印象を受けました。
カロリーメイトが発売されたのは1983年ですが、以来約30年間、このパッケージデザインは、ほとんど変わっていないんです。途中でロゴの太さが少し変化した以外は、そのままです。
これは伊藤銀次というミュージシャンの『BABY BLUE』というレコードジャケットで、横尾忠則さんが絵を描いています。印象的だったのは、文字や絵、その色や形、そして筆さばきがすべて一緒くたになって、それぞれが不可欠なものとして成立しているということ。
資生堂のシンボルでもある「花椿マーク」が生まれたのは1915年、初代社長である福原信三が自らデザインしました。
1992年、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで葛西薫さんによる「AERO(エアロ)」という展覧会が開催されたのですが、これはその展覧会のポスターと、実際に展示されていた作品です。