固定観念にとらわれない表現で作品の世界に引き込む
横尾忠則さんの作品と出会ったのは、高校1年生の頃。美術の先生が持っていた横尾さんの作品集を、何かのきっかけで見せてもらいました。
横尾忠則さんの作品と出会ったのは、高校1年生の頃。美術の先生が持っていた横尾さんの作品集を、何かのきっかけで見せてもらいました。
私の美意識の基盤となっているデザインのひとつが、資生堂の「唐草模様」です。唐草模様は、植物の蔦やツルをモチーフにした文様で、古代メソポタミアからシルクロードを渡り、唐の時代に日本に伝わったといわれています。
高校生のとき、佐藤可士和さんがデザインされたNTTドコモの携帯電話「N702iD」を使っていました。
私の両親は、神戸市長田区で酒屋を営んでいました。自宅の1階に店舗がある、いわゆる町の酒屋です。特に夕方が忙しかったので、幼稚園児の私が1人で過ごしても退屈しないように、両親は絵本を定期購読してくれていました。
何かをつくる仕事に携わりたい。そう考えるようになったのは、THE CHECKERS(以下、チェッカーズ)の衣装に興味を持ったことがきっかけです。
私はグラフィックデザイナーという肩書で仕事をしていますが、元々は映画監督を目指していました。大学では映画制作を学べることを理由にデザイン学科を専攻。
2001年の10月、スペインに行きました。26歳でデザイナーとして独立し、10年目を迎えた頃でした。スペインに行ったのは、知り合いのクリエイティブディレクターが大阪で開くことになったスペイン雑貨店の買い付けのためです。
80年代後半、私が美大生の頃、デザイン業界は広告の仕事が全盛で、百貨店やファッションビルなどのキャンペーンが世の中のムードをけん引していくような躍動感のある時代でした。ポスターをデザインする仕事に憧れて、広告業界を目指す美大生も多かったのですが、私は迷っていました。
任天堂でグラフィックデザイナーとして働き始めて2年目の2002年、東京・六本木にあった青山ブックセンターで、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンの『The Graphic Designer and His Design Problems』と出会いました。
大貫卓也さんが手がけた、クモの巣をモチーフにした1994年の「ラフォーレ グランバザール」のポスターを見るたび、新人研修の思い出がよみがえります。それはアイデアをひたすら出し続けるトレーニングで、ひとつの課題に対して百案。