「足す」ことで生まれるオリジナリティ
今から20年以上前、「横浜トリエンナーレ2001」に行ったとき、ある作品の前に人だかりができていました。作品を見ている人たちは何だか楽しそうで、時折笑いも起きている。
今から20年以上前、「横浜トリエンナーレ2001」に行ったとき、ある作品の前に人だかりができていました。作品を見ている人たちは何だか楽しそうで、時折笑いも起きている。
私は中学生の頃から、写真を撮ることが好きでした。写真を撮り始めたのは、中学1年のとき、親からオリンパスの「OM-1」というフィルムの一眼レフカメラを譲り受けたことがきっかけです。その後どんどん、写真だけでなくサブカルチャー全般にのめり込み、デザイナーになれば音楽や映画、写真、雑誌、本など、自分の好きなこと全部に関われる可能性があると気付きました。
表現の手法や手段にとらわれず、 何をやってもいい。たとえ広告の仕事であっても、その目的によってはプロダクトやサービスをデザインしてもいい。そんな柔軟な感覚を持てるようになったのは、グラフィックデザイナーであるティボール・カルマンの作品集『Perverse Optimist』 を見たことがきっかけです。
「清水くんがつくるデザインの価値って何?自分の才能って何だと思う?」。デザイナーとして働き始めて数年経った頃、会社の先輩からそんな問いかけがありました。僕はすぐに答えられず、それから「自分は何が得意なのか」を考えるようになりました。
2008年のことです。iPhoneが日本で発売され、今までの携帯電話とは全く違ったデザインがとても話題になりました。使ってみて、まず衝撃を受けたのが、画面の下にひとつだけある「ホームボタン」でした。
金沢市の築50年のビルを再生する「香林居」のプロジェクトを手がけていたとき、宿泊施設について色々と調べていました。ホテルの付加価値について検討する中で、その土地らしさを活かし、世界観をつくることが重要なのではという話になり、その参考施設のひとつとして、広島県尾道市にある「LOG(ログ)」が挙がっていました。
美大受験のために浪人していたころ、デザイン誌『アイデア』(誠文堂新光社)の1999年3月号でGRAPHの記事を読みました。その記事は「デザインとインサツ コミュニケーションとルール 北川一成」と題し、北川さんが手がけたポスターや本、日本酒のラベルやパッケージなどが、16ページにわたって紹介されていました。まるで素人がデザインしたような表現があったり、皆目見当がつかないイメージがあったり。「こんなことしていいの?」と驚いたのを覚えています。だけど、なんだか目が離せなくなる。予備校で平面構成などデザインの基礎を習得していた身としては、とても衝撃的でした。
大学生の頃、校内の図書館でグラフィックデザインの年鑑を片っ端から見ていた時期があります。当時はまだ、ネットでデザインの事例をまとめて見ることができませんでした。
山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』は、高校生の頃から何度も読み返している小説です。
1973年にアメリカで発行された写真集『The Best of LIFE』は、僕にとって“座右の銘”ならぬ“座右の書”のような大切な存在です。