想像をはるかにこえたアートディレクション
私はデザイナーとして王道を歩んできたわけではありません。デザイナーになろうと本気で動き出したのは、大学4年のとき。
私はデザイナーとして王道を歩んできたわけではありません。デザイナーになろうと本気で動き出したのは、大学4年のとき。
幼稚園の頃、地元のサッカークラブに入りました。強いチームで、小学生になるとほぼ毎日練習だった上に土日も試合。サッカー三昧の毎日でした。
コム デ ギャルソンのビジュアルマガジン『Six』は1980年代の終わりから90年代初頭にかけて、顧客や関係者に向けて制作されていた伝説のフリーマガジンです。
キャメロン・ディアスとブラッド・ピットが携帯電話をかけながら歩いている――2006年に放映されたソフトバンク(当時、ソフトバンクモバイル)のCMを見たとき、すごい衝撃を受けました。僕はその頃、サン・アドに入社して9年目。理想の仕事や表現のイメージはあったものの、うまく実現できずにジレンマを抱えていました。そんなときに見たソフトバンクのCMには僕がやりたいと思っていたことが完璧に表現されていて、もうこの先自分にはやることがない、本気でАDを辞めようかな…と思ったほどでした。
大学3年生の頃に毎日デザイン賞に応募するため、新聞広告をつくる授業がありました。当時の僕は世の中のシステムにイライラしていて、その怒りや恨みをぶつけるように、タイポグラフィだけで社会問題を訴えかける広告をつくったんです。
私がデザイナーになろうと思ったのは高校3年生のときでした。通っていた学校は美術系ではなく、朝の6時から補習があるほどの進学校。勉強漬けの毎日に「このまま大人になるのはつまらない。脇道に逸れたいな」と思うようになり、面白いほうへ逃げるように美術系予備校の夏期講習へ通いはじめました。
子どものときから、とにかく漫画好き。小学生のときは漫画家になりたいと思っていました。特に荒木飛呂彦さんの『ジョジョの奇妙な冒険』にはすごい影響を受けて、Gペンを買って、ずっと模写していたほど。でもストーリーが思いつかず…。漫画家になるのはあきらめ、イラストレーターを目指しました。
いまから20年ほど前、まだ学生だった頃。駅から自宅までの帰り道で、飲料の自動販売機が目に止まりました。その側面には、今まで見たことがないアメコミ風のイラストが描かれていたんです。それを見た瞬間に、僕は思わず「あ、ペプシマンだ」と言いました。
今から3年半ほど前、東京都現代美術館で開催された「MOTアニュアル2012 Making Situations,EditingLandscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」展の広告を電車内で見かけました。作品のビジュアルはなく、文字だけで構成されたストイックなデザイン。
入社して5年ほど経った頃、ようやく独り立ちする機会を得ました。とはいえ、これから自分が何をするべきか、どうやればいいのか、日々暗中模索していました。そんなとき、書店で手にしたのが『流行通信』です。ロゴも表紙もこれまでとは全く違うデザインに変わり、雑誌を開いた瞬間に「うわ、これはすごい!」と驚いたことを覚えています。