暮らしに寄り添う中で生まれてきたデザイン
僕は装丁家、グラフィックデザイナー、書体デザイナーと3つの肩書きを掲げています。似て非なるこれらの肩書きを同時に掲げているデザイナーは、ほぼいないと思います。そんな僕が大学時代に目指したのは、ブックデザイナー。その基本知識として独学でタイポグラフィを勉強したことが、いまに繋がっています。
僕は装丁家、グラフィックデザイナー、書体デザイナーと3つの肩書きを掲げています。似て非なるこれらの肩書きを同時に掲げているデザイナーは、ほぼいないと思います。そんな僕が大学時代に目指したのは、ブックデザイナー。その基本知識として独学でタイポグラフィを勉強したことが、いまに繋がっています。
"デザイン"とは、私たちがそれに関わったときに影響するものすべてにおいてのこと、と考えています。そのとき置かれている自分の立場、時代でデザインの見方は当然変わってくると思いますが、自分が気になっていたものが姿形、切り口を変えて突然目の前にやってくることもある。それが現れ出てきたとき、そのトリガーを見逃してはいけないし、自然とそういうものが「見えてくる」ということが重要だなと。
北海道のいなか町で育ち、大学時代は山形で過ごしました。いまライトパブリシティでアートディレクターとして仕事をしていますが、就職で東京に出てくるまで、広告のポスターを生活の中で見ることはほとんどありませんでした。それ以前に、自分が育った環境にはエンターテインメントの施設などなく、子どもの頃の楽しみと言えば、漫画雑誌『りぼん』を買って読んだり、真似してイラストを描くことでした。
『BOTTOM ASH OBSERVATORY』は、家庭ゴミや産業廃棄物を焼却して残った灰の調査結果をビジュアルで紹介する、クリスティン・メンデルツマさんの作品です。オランダのアーティストでデザイナーのメンデルツマさんは、ほかにも一頭の豚から生産される製品を調査した『PIG 05049』という作品も発表しています。豚が屠殺された後、どんな原材料や製品になるか追跡調査した内容で、ソーセージや石鹸、オイルなど、180以上のアイテムになったと伝えています。
最近、文字やサインのデザインに興味を持っています。あらためて文字のデザインの魅力に気付いたのは、イギリスのバンド「オアシス」のメンバーだったノエル・ギャラガーのソロプロジェクト「ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ(以下、ノエル・ギャラガーズ)」のツアーTシャツを見かけたことがきっかけです。
中学時代に現代美術好きの親友が「こういう人がいるんだよ」と紹介してくれたのが、アーティスト大竹伸朗さん。当時、大竹さんの展覧会は僕が住んでいた鳥取では開催されず、作品の現物を見ることはできませんでした。初めて実物を目にしたのは、2006年10月に東京都現代美術館で行われた大回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」。例の親友に誘われて美術館を訪れました。ちょうど多摩美術大学に在学中のことで、作品の迫力にひたすら圧倒され続けました。
エイプリル・グレイマンの作品を見たのは、おそらく18、19歳の頃。具体的にいつ見たのか覚えてはいないのですが、当時から僕は70~80年代のデザインが好きで、本を見たり、展示を見たりする中で出会ったのだと思います。彼女は元々グラフィックデザイナーなのですが、当時としてはかなり型破りなことをやっていた人。
今はデザイナーとして働いている私ですが、学生時代は日大藝術学部の絵画コースでファインアートや油絵を学んでいました。当時からデザインにも興味があったので、デザイン科の授業にもぐりこんでいたんです。その頃に大学の廊下で出会ったのが、コム・デ・ギャルソンのB1サイズのポスターです。DMとして送られてきたもので、折り目がついたまま大学の掲示板に貼られていました。
大学時代、僕にとってデザインとは何か特別な、高貴なもののように感じていました。いつか自分もそこに関わる仕事がしたいと思って、博報堂を受けました。ちょうどその頃、発売されたのが明治の「おいしい牛乳」です。
大学3年生のとき、僕はイラストばかり描いていて、広告やグラフィックデザインにあまり興味がありませんでした。当時はデザインよりアートの力を信じていたので、広告に対してはむしろ斜に構えていました。そんな僕に友だちが紹介してくれたのが、ベネトンの写真家、オリビエーロ・トスカーニの『広告は私たちに微笑みかける死体』という本でした。