赤瀬川原平のパロディーとユーモア
これまでデザインに関して、たくさんの人やものから影響を受けてきました。その中でもデザインに対する態度で最も影響を受け、今もたびたび思い出すものがあります。それは、前衛芸術家の赤瀬川原平が1970年代に週刊誌『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)で連載していた『櫻画報』です。
これまでデザインに関して、たくさんの人やものから影響を受けてきました。その中でもデザインに対する態度で最も影響を受け、今もたびたび思い出すものがあります。それは、前衛芸術家の赤瀬川原平が1970年代に週刊誌『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)で連載していた『櫻画報』です。
最近、子供の頃に好きだった絵本を買い直しています。姉妹や友人に子どもが生まれ、絵本をプレゼントするとき、自分が子どもの頃に気に入っていたものをあげたくて、あらためて自分に買ったのがきっかけです。それらを読み返してみると、私が好む絵本には傾向があり、その気持ちは大人になっても変わっていないことに気付きました。これまでさまざまな人や物事から影響を受けてきましたが、原体験は絵本なのだと思います。
今から28年ほど前。デザイナーとして働き始めた当初のこと。タイポグラフィをベースにデザインする機会が多く、あらためて書体の勉強をしました。当時はまだ写植で版下をつくるのが一般的でしたが、Macが普及し始めた時期でもあり、自分の手書き文字をスキャンして図形化したものを調整したり、既存の書体をアレンジしたりと、“文字いじり”をしていました。しかしその後、有名な書体が誕生した時代背景や形の特徴、その理由など、書体に関する知識を学べば学ぶほど、文字いじりができなくなってしまいました。
今から20年以上前、「横浜トリエンナーレ2001」に行ったとき、ある作品の前に人だかりができていました。作品を見ている人たちは何だか楽しそうで、時折笑いも起きている。
私は中学生の頃から、写真を撮ることが好きでした。写真を撮り始めたのは、中学1年のとき、親からオリンパスの「OM-1」というフィルムの一眼レフカメラを譲り受けたことがきっかけです。その後どんどん、写真だけでなくサブカルチャー全般にのめり込み、デザイナーになれば音楽や映画、写真、雑誌、本など、自分の好きなこと全部に関われる可能性があると気付きました。
表現の手法や手段にとらわれず、 何をやってもいい。たとえ広告の仕事であっても、その目的によってはプロダクトやサービスをデザインしてもいい。そんな柔軟な感覚を持てるようになったのは、グラフィックデザイナーであるティボール・カルマンの作品集『Perverse Optimist』 を見たことがきっかけです。
「清水くんがつくるデザインの価値って何?自分の才能って何だと思う?」。デザイナーとして働き始めて数年経った頃、会社の先輩からそんな問いかけがありました。僕はすぐに答えられず、それから「自分は何が得意なのか」を考えるようになりました。
2008年のことです。iPhoneが日本で発売され、今までの携帯電話とは全く違ったデザインがとても話題になりました。使ってみて、まず衝撃を受けたのが、画面の下にひとつだけある「ホームボタン」でした。
金沢市の築50年のビルを再生する「香林居」のプロジェクトを手がけていたとき、宿泊施設について色々と調べていました。ホテルの付加価値について検討する中で、その土地らしさを活かし、世界観をつくることが重要なのではという話になり、その参考施設のひとつとして、広島県尾道市にある「LOG(ログ)」が挙がっていました。
美大受験のために浪人していたころ、デザイン誌『アイデア』(誠文堂新光社)の1999年3月号でGRAPHの記事を読みました。その記事は「デザインとインサツ コミュニケーションとルール 北川一成」と題し、北川さんが手がけたポスターや本、日本酒のラベルやパッケージなどが、16ページにわたって紹介されていました。まるで素人がデザインしたような表現があったり、皆目見当がつかないイメージがあったり。「こんなことしていいの?」と驚いたのを覚えています。だけど、なんだか目が離せなくなる。予備校で平面構成などデザインの基礎を習得していた身としては、とても衝撃的でした。