中川英明さんの「自分では絶対書けない3本」
自分ではゼッタイ書けない3本を選んでみました。書けないからこそあこがれる名作たちです。飲み屋で、広告業界じゃない人に自分の仕事の話をするとき、これらのコピーの魅力をあたかも自分が書いたかのように熱弁し、「ほら、コピーライターってかっこいいだろ?」と、したり顔で烏龍茶を飲んでいます(下戸なのです)。
名作コピーの時間
自分ではゼッタイ書けない3本を選んでみました。書けないからこそあこがれる名作たちです。飲み屋で、広告業界じゃない人に自分の仕事の話をするとき、これらのコピーの魅力をあたかも自分が書いたかのように熱弁し、「ほら、コピーライターってかっこいいだろ?」と、したり顔で烏龍茶を飲んでいます(下戸なのです)。
どうやったらいいコピーを書けるようになるのか。ずっと、15年以上その問いを考え続けている。「コピーはポエムなのか?」論が噴出し、コピーが細かく分類され、いつの間にかコピーライターも「マス」と「デジタル等マス以外」に分かたれた。トレンドは後者であり、前者は「オーソドックス」と揶揄すらされている。
「これはオモシロイわー。何回見てもオモシロイわー」と母が言うんです。禁煙パイポのCMを見て。昭和59年。母、44歳。私、14歳。どちらかと言うと真面目で、バラエティ番組のアツアツのおでんをむりやり食べさせる的なお笑いを毛嫌いしていた母が、このCMに関しては、本当に楽しそうに笑うんです。出演者は3人の男性サラリーマン。「わたくしは、この禁煙パイポで(パイポを見せる)、タバコをやめました」「わたしも、このパイポで(パイポを見せる)、タバコをやめました」「わたしは、コレで(小指を立てる)、会社をやめました」の後に、「やめたい人の禁煙パイポ〜♪」という非常にシンプルな企画。
自分にとって印象深いコピーを3本。とても難しいお題です。すごいコピー、尊敬するコピーはたくさんありすぎますから!でもそこで思ったのが、まだ自分がコピーライターではなく、広告の仕事に興味もない頃に好きだったコピーってなんだろう?ということ。「仕事」というフィルターも何もない、素人の自分の心にぐっと刺さり、何かしらの影響を与えた言葉。パッと思い浮かんだのが、この3つでした。
「みじかびの〜」は、1969年の誰もが知ってる大ヒットCM。僕は当時小学四年生。初めてCMのコトバを面白いと意識した経験だったような気がします。意味よりも音で書け、というのは、コピー作法として今でも通用するでしょうが、その最高のサンプルでしょう。
90年代福岡はコピーライター戦国時代。手島裕司さん、大曲康之さん、植原政信さん、門田陽さん、中村聖子さん、岡田賢さんたちの強いコピーが街にあふれていました。B1ポスターがまだパワーを持っていた時代です。
CMプランナーだからなのか、思い出すコピーはCMのものが多いですね。ひとつ目の「恋は、遠い日の花火ではない。」は、たしか中2ぐらいのときに初めて見たのですが、「なんか大人になるって素敵だな。早く大人になって結婚して…でも…」と片田舎の布団の中で妄想していました。あれから20年。
子どもの頃から「宣伝」が大好きだった。「広告」という言葉はまだ知らなかった。3才で「3時のおやつは文明堂〜」を姉と踊り、8才のときは「ソ、ソ、ソクラテスか、プラントか」を大声で歌い、12才のときには大きくなったら「不思議なピーチパイ」の口紅を絶対つけるぞ、と決意した。
20歳のときに広島(福山)から福岡に来て、天神ビブレとマツヤレディスの広告がすごく気になりました。当時の僕は2浪してようやく大学に入り、出遅れた2年間を挽回すべく「やりたいことを早く探して、それを仕事にしよう。」と意気込んではいたものの、20歳の僕がやりたいことはエロいことしかなくて、しかしエロいことを仕事にする勇気はなくて、とても悶々としていた頃でした。
新聞に載っていた小さな求人広告からコピーライターの世界に転がり込んだ僕は、悩みの中にいました。大学の夜間部を卒業して別の仕事をしていた僕には、幸運にも知り合うことができたカッコいい大人たちとのつながり以外には自分の中に根っこもなく、焦っていたのです。