コピーライター自身の可能性をひろげる拡張力
「このバカまじめ!…ゆうパック」姉弟ゲンカしていた4歳の息子が突然、捨て台詞を吐くように言ったんです(その瞬間、家族でズッコケ笑ってしまったのは言うまでもありません)。自分のコピー原体験も、やっぱりテレビCMだったなぁと。
名作コピーの時間
「このバカまじめ!…ゆうパック」姉弟ゲンカしていた4歳の息子が突然、捨て台詞を吐くように言ったんです(その瞬間、家族でズッコケ笑ってしまったのは言うまでもありません)。自分のコピー原体験も、やっぱりテレビCMだったなぁと。
触ってごらん、ウールだよ。当時田舎の小学校に通っていたわたしは、この広告にバイラルのすごさを教わりました。男子も女子も互いを気にしているのに、素直になれなかったあのころ。触ってごらん、ウールだよ。は、そんなわたしたちを解放してくれる、魔法の言葉でした。
虎に柄があるように、人にも人柄がある。そして、人がつくる以上、コピーには人柄があらわれると思っています。
プール教室が大っ嫌いでした。帰りに、その商業施設の下の階の本屋さんに寄るのが楽しみだった僕が、文庫本の帯に書いてあった「想像力と数百円」と出会ったのは小学生のとき。
コピーは広告という経済活動で使用される言葉。だと考えれば、コピーの目指す究極は「そのコピーが市場までつくる」ことではなかろうか、とふと気づいたのは5年前くらいに月島のマクドナルドの前を通ったとき。「朝マック」という国民誰もが知っているコピーを見たときです。
超能力を見たことがある人と見たことがない人だったら、見たことがある人のほうが、超能力を使えるようになる確率が高いに違いない。
1999年にコピーライターとして博報堂に入社した。幸運にも、一年目の仕事で朝日広告賞やTCCの新人賞も獲得できた。「ソハラってやつは、わりとできるらしい」ということだったかもしれない。
「いろいろ奪うと、大人ができる」。僕は博報堂に入って前田知巳さんに師事しまして、入社一年目の仕事でTCCの新人賞をいただいたのですが、これはひとえに前田さんが「林に新人賞獲らせる計画」を発動させた結果でした。
電通に入社して、配属された関西支社では、「堀井グループ」の面々が大活躍されていて、入社前から『堀井グループ全仕事』を読んでいた私は、同じフロアで、個性の強すぎるおっさんたちに遭遇するたび、アイドルに出会ったようにドキドキしていました。
「恋は、遠い日の花火ではない。」オールドのCMが流れていたころ、僕は青森の田舎の高校生でした。飲めもしないウイスキーなのに。自分とは年代の違う男女のストーリーなのに。そのコピーが好きでした。酒が飲めないからこそ、まだ見ぬ大人の世界に憧れたのかもしれません。ウイスキーのかわりにリンゴジュースなどを飲んで悶々としていました。