いつかこの名作に近づけるコピーを書きたい
CMプランナーだからなのか、思い出すコピーはCMのものが多いですね。ひとつ目の「恋は、遠い日の花火ではない。」は、たしか中2ぐらいのときに初めて見たのですが、「なんか大人になるって素敵だな。早く大人になって結婚して…でも…」と片田舎の布団の中で妄想していました。あれから20年。
名作コピーの時間
CMプランナーだからなのか、思い出すコピーはCMのものが多いですね。ひとつ目の「恋は、遠い日の花火ではない。」は、たしか中2ぐらいのときに初めて見たのですが、「なんか大人になるって素敵だな。早く大人になって結婚して…でも…」と片田舎の布団の中で妄想していました。あれから20年。
子どもの頃から「宣伝」が大好きだった。「広告」という言葉はまだ知らなかった。3才で「3時のおやつは文明堂〜」を姉と踊り、8才のときは「ソ、ソ、ソクラテスか、プラントか」を大声で歌い、12才のときには大きくなったら「不思議なピーチパイ」の口紅を絶対つけるぞ、と決意した。
20歳のときに広島(福山)から福岡に来て、天神ビブレとマツヤレディスの広告がすごく気になりました。当時の僕は2浪してようやく大学に入り、出遅れた2年間を挽回すべく「やりたいことを早く探して、それを仕事にしよう。」と意気込んではいたものの、20歳の僕がやりたいことはエロいことしかなくて、しかしエロいことを仕事にする勇気はなくて、とても悶々としていた頃でした。
新聞に載っていた小さな求人広告からコピーライターの世界に転がり込んだ僕は、悩みの中にいました。大学の夜間部を卒業して別の仕事をしていた僕には、幸運にも知り合うことができたカッコいい大人たちとのつながり以外には自分の中に根っこもなく、焦っていたのです。
コピーは絶望だった。多くのクリエイターもそうだったように、就職活動を始めるまでは、広告代理店はおろかコピーライターの存在すら知らなかった。
京都生まれの父と母は、長い休みになると、いつも祖父母のいる京都に、私たち姉弟を連れて帰った。ある時、いつものように京都駅に降り立つと、大きなポスターが貼ってある。「そうだ 京都、行こう。」のポスターだった。
ボクの部屋に捨てられないビデオが80本以上ある(AVではない)。中1の頃から、録り貯めした漫才番組・コント番組のビデオだ。
十代のころから好きで聴いているパンクロックやハードコアの楽曲は、短くて、本音があって、シンプルだ。そんなことを考えながら、短くて、本音があって、シンプルなコピーを選ばせていただきました。
自分がコピーライターになる前、どんなコピーに触れていたのか。そんなことをぼんやり思い出しながら3本のコピーを選択させていただきました。そういえば小学生のときは、とにかく遊んでばかりのアクティブな少年でした。僕を知っている方は想像できないかもしれませんが。
コピー年鑑の横には、宣伝会議という雑誌がありました。そこで知ったのがコピーライター養成講座でした。何よりも魅力だったのは、コピー年鑑に出ているコピーライターの人たちが講師で来られるということ。