買うこと自体がなんだかちょっと嬉しくなるコピー
プール教室が大っ嫌いでした。帰りに、その商業施設の下の階の本屋さんに寄るのが楽しみだった僕が、文庫本の帯に書いてあった「想像力と数百円」と出会ったのは小学生のとき。
名作コピーの時間
プール教室が大っ嫌いでした。帰りに、その商業施設の下の階の本屋さんに寄るのが楽しみだった僕が、文庫本の帯に書いてあった「想像力と数百円」と出会ったのは小学生のとき。
コピーは広告という経済活動で使用される言葉。だと考えれば、コピーの目指す究極は「そのコピーが市場までつくる」ことではなかろうか、とふと気づいたのは5年前くらいに月島のマクドナルドの前を通ったとき。「朝マック」という国民誰もが知っているコピーを見たときです。
超能力を見たことがある人と見たことがない人だったら、見たことがある人のほうが、超能力を使えるようになる確率が高いに違いない。
1999年にコピーライターとして博報堂に入社した。幸運にも、一年目の仕事で朝日広告賞やTCCの新人賞も獲得できた。「ソハラってやつは、わりとできるらしい」ということだったかもしれない。
「いろいろ奪うと、大人ができる」。僕は博報堂に入って前田知巳さんに師事しまして、入社一年目の仕事でTCCの新人賞をいただいたのですが、これはひとえに前田さんが「林に新人賞獲らせる計画」を発動させた結果でした。
電通に入社して、配属された関西支社では、「堀井グループ」の面々が大活躍されていて、入社前から『堀井グループ全仕事』を読んでいた私は、同じフロアで、個性の強すぎるおっさんたちに遭遇するたび、アイドルに出会ったようにドキドキしていました。
「恋は、遠い日の花火ではない。」オールドのCMが流れていたころ、僕は青森の田舎の高校生でした。飲めもしないウイスキーなのに。自分とは年代の違う男女のストーリーなのに。そのコピーが好きでした。酒が飲めないからこそ、まだ見ぬ大人の世界に憧れたのかもしれません。ウイスキーのかわりにリンゴジュースなどを飲んで悶々としていました。
小学校の同級生が6人しかしないド田舎で生まれ育ったため、接する広告媒体はCMしかありませんでした。だから正直、思い出のコピーとなると、もう全くないわけで、あるとしてもサウンドロゴとコマソンぐらいで、ビタミンちくわ♪とか、ハイリハイリウエハイリホ〜♪とか、説明しても訳がわからない状態。そんな僕は、どうやったらものが売れるかを考えることが大好きで、つまりはマーケティングが大好きで今の会社を選んだのです。
「みんな、ニューヨークへ行きたいか!」東京ドームで繰り広げられる壮大で熱気を帯びたコール&レスポンスに、空の上に引き上げられるような高揚感を覚えた。全身に鳥肌が立ち、別段泣くシーンでもないのに目に熱いものが…。コピーの機能の一つが「この指とまれ」的なものだとしたら、僕自身こんなに飛びついたものは、あとにも先にもこれをおいてないかもしれません。
重要な新型車の発売コピーが、くうねるあそぶ。ですよ。もう新鮮なんてもんじゃなかった。コピーだけがポンと投げ出されるティザー広告、井上陽水の強烈な登場の後、いよいよ現れる新型車。それが打ち立てようとしていた「新しいかっこよさ」「もっと自由な価値観」が、就職活動中の学生だった僕にもビンビン伝わってきて、広告の仕事に就きたいという気持ちが高まったのを憶えています。