コピーライターに近道なんて、なかったぜ
「恋は、遠い日の花火ではない。」オールドのCMが流れていたころ、僕は青森の田舎の高校生でした。飲めもしないウイスキーなのに。自分とは年代の違う男女のストーリーなのに。そのコピーが好きでした。酒が飲めないからこそ、まだ見ぬ大人の世界に憧れたのかもしれません。ウイスキーのかわりにリンゴジュースなどを飲んで悶々としていました。
名作コピーの時間
「恋は、遠い日の花火ではない。」オールドのCMが流れていたころ、僕は青森の田舎の高校生でした。飲めもしないウイスキーなのに。自分とは年代の違う男女のストーリーなのに。そのコピーが好きでした。酒が飲めないからこそ、まだ見ぬ大人の世界に憧れたのかもしれません。ウイスキーのかわりにリンゴジュースなどを飲んで悶々としていました。
小学校の同級生が6人しかしないド田舎で生まれ育ったため、接する広告媒体はCMしかありませんでした。だから正直、思い出のコピーとなると、もう全くないわけで、あるとしてもサウンドロゴとコマソンぐらいで、ビタミンちくわ♪とか、ハイリハイリウエハイリホ〜♪とか、説明しても訳がわからない状態。そんな僕は、どうやったらものが売れるかを考えることが大好きで、つまりはマーケティングが大好きで今の会社を選んだのです。
「みんな、ニューヨークへ行きたいか!」東京ドームで繰り広げられる壮大で熱気を帯びたコール&レスポンスに、空の上に引き上げられるような高揚感を覚えた。全身に鳥肌が立ち、別段泣くシーンでもないのに目に熱いものが…。コピーの機能の一つが「この指とまれ」的なものだとしたら、僕自身こんなに飛びついたものは、あとにも先にもこれをおいてないかもしれません。
重要な新型車の発売コピーが、くうねるあそぶ。ですよ。もう新鮮なんてもんじゃなかった。コピーだけがポンと投げ出されるティザー広告、井上陽水の強烈な登場の後、いよいよ現れる新型車。それが打ち立てようとしていた「新しいかっこよさ」「もっと自由な価値観」が、就職活動中の学生だった僕にもビンビン伝わってきて、広告の仕事に就きたいという気持ちが高まったのを憶えています。
まだ僕が新人だった頃。当時はCMの力がとにかく圧倒的で、コピーもCMのまんなかでどーんとしてる、短くて強い言葉があふれていた気がします。キャッチらしいキャッチ、というんですかね。いつかそういうコピーを書いてやろうと僕も思ったものでした。けれど、実際の自分に与えられた仕事はグラフィックばかり。それもクルマや携帯電話のスペックだらけの長文原稿をひたすら書いていました。そのせいなのかどうなのか、いまもダラダラ長いコピーのほうが得意だったりします。
自分ではゼッタイ書けない3本を選んでみました。書けないからこそあこがれる名作たちです。飲み屋で、広告業界じゃない人に自分の仕事の話をするとき、これらのコピーの魅力をあたかも自分が書いたかのように熱弁し、「ほら、コピーライターってかっこいいだろ?」と、したり顔で烏龍茶を飲んでいます(下戸なのです)。
どうやったらいいコピーを書けるようになるのか。ずっと、15年以上その問いを考え続けている。「コピーはポエムなのか?」論が噴出し、コピーが細かく分類され、いつの間にかコピーライターも「マス」と「デジタル等マス以外」に分かたれた。トレンドは後者であり、前者は「オーソドックス」と揶揄すらされている。
「これはオモシロイわー。何回見てもオモシロイわー」と母が言うんです。禁煙パイポのCMを見て。昭和59年。母、44歳。私、14歳。どちらかと言うと真面目で、バラエティ番組のアツアツのおでんをむりやり食べさせる的なお笑いを毛嫌いしていた母が、このCMに関しては、本当に楽しそうに笑うんです。出演者は3人の男性サラリーマン。「わたくしは、この禁煙パイポで(パイポを見せる)、タバコをやめました」「わたしも、このパイポで(パイポを見せる)、タバコをやめました」「わたしは、コレで(小指を立てる)、会社をやめました」の後に、「やめたい人の禁煙パイポ〜♪」という非常にシンプルな企画。
自分にとって印象深いコピーを3本。とても難しいお題です。すごいコピー、尊敬するコピーはたくさんありすぎますから!でもそこで思ったのが、まだ自分がコピーライターではなく、広告の仕事に興味もない頃に好きだったコピーってなんだろう?ということ。「仕事」というフィルターも何もない、素人の自分の心にぐっと刺さり、何かしらの影響を与えた言葉。パッと思い浮かんだのが、この3つでした。
「みじかびの〜」は、1969年の誰もが知ってる大ヒットCM。僕は当時小学四年生。初めてCMのコトバを面白いと意識した経験だったような気がします。意味よりも音で書け、というのは、コピー作法として今でも通用するでしょうが、その最高のサンプルでしょう。