記憶に残る「はじめて」のコピーたち
31歳から、コピーを学びはじめました。それまでは制作会社でCG制作やCMの企画演出をやっていて、現職に就くことになった際は、当然前職の延長上の仕事をやるものだと思っていました。「じゃあ、このコピー考えて。CM案もよろしく」。入社日に、師匠・上野達生からの言葉で脇汗をかきまくったのを覚えています。
名作コピーの時間
31歳から、コピーを学びはじめました。それまでは制作会社でCG制作やCMの企画演出をやっていて、現職に就くことになった際は、当然前職の延長上の仕事をやるものだと思っていました。「じゃあ、このコピー考えて。CM案もよろしく」。入社日に、師匠・上野達生からの言葉で脇汗をかきまくったのを覚えています。
突然、営業局から転局してきてコピーライターを名乗り始めたポンコツを、手取り足取り、厳しくも優しく、多くの先輩方が一からコピーの書き方を教えてくれました。その方々がいなかったら今の僕は絶対に存在していないし、広告業界にいたかすら怪しいものです。
生まれて初めて見た「広告」でした。たしか、母に手を引かれてお米屋さんに行ったとき。半裸の女優が冷たい目でまっすぐこちらを見据えているポスター。こわくて釘付けでした。
「コピーライター」という仕事を知ったのは、10歳ぐらいのときでした。父親の大好きなCMがあって。「これ、おもしゃいぞー」とビデオに録画されていたCMを何度も何度も繰り返し見せられました。
広告コピーって、ふしぎ。コピーライターとして走り始めた20代半ば。
柳島さんは入社してすぐの師匠で、弟子の駄作を眺めてはため息ばかりついていた。
新入社員のころ、海外の名作広告を勉強していた時に、一枚のポスターに出会いました。ポストイットの広告なのですが、ガンジーの写真にポストイットが貼られ、ただひとこと「Don’t forget.」というコピーが添えられています(マザー・テレサや、広島の原子雲をモチーフにしたシリーズもあります)。
「このバカまじめ!…ゆうパック」姉弟ゲンカしていた4歳の息子が突然、捨て台詞を吐くように言ったんです(その瞬間、家族でズッコケ笑ってしまったのは言うまでもありません)。自分のコピー原体験も、やっぱりテレビCMだったなぁと。
触ってごらん、ウールだよ。当時田舎の小学校に通っていたわたしは、この広告にバイラルのすごさを教わりました。男子も女子も互いを気にしているのに、素直になれなかったあのころ。触ってごらん、ウールだよ。は、そんなわたしたちを解放してくれる、魔法の言葉でした。
虎に柄があるように、人にも人柄がある。そして、人がつくる以上、コピーには人柄があらわれると思っています。