突き抜けた個のグラフィックは国境も人種も超える
多摩美術大学3年生の頃、大学のあるJR八王子駅の駅構内にフォーマルウェアの老舗カインドウェアのポスターが貼ってありました。現在は現代美術家として活動されているサイトウ・マコトさんが手がけたこのグラフィックは、遠く離れた距離から見てももの凄くインパクトがあり、引き寄せられるようにこのポスターへと近づいていったこと、そこで長い時間そのビジュアルに釘付けになったことを今でもはっきりと覚えています。
多摩美術大学3年生の頃、大学のあるJR八王子駅の駅構内にフォーマルウェアの老舗カインドウェアのポスターが貼ってありました。現在は現代美術家として活動されているサイトウ・マコトさんが手がけたこのグラフィックは、遠く離れた距離から見てももの凄くインパクトがあり、引き寄せられるようにこのポスターへと近づいていったこと、そこで長い時間そのビジュアルに釘付けになったことを今でもはっきりと覚えています。
メキシコオリンピック('63)のロゴデザインでも知られる米国の巨匠ランス・ワイマン。氏が手がけたミネソタとワシントン国立動物公園のピクトグラムやサイネージがとても素晴らしい。
これはドラフトの先輩の、KIGIの渡邉良重さんによるADC年鑑2002年版のリーフレットです。展示のポスターや年鑑のアートディレクションも良重さんが手がけました。ADCの「A」が東京タワーのデザインで、実物の東京タワーのシルエットが重なっています。
大学院生の頃、D|BROSでデザインのアルバイトをしていました。そこで、僕が初めて仕事としてお手伝いさせてもらったのが、お皿に描かれた模様が鏡面のカップに映る「カップ&ソーサー」というプロダクトのデザインでした。
これは、グラフのアートディレクター・北川一成さんが1996年に手がけた酒蔵メーカー富久錦のロゴです。96年はちょうどわたしがデザイナーとして働き出したころ。オンタイムでこのロゴを見ていたかどうかは、記憶が曖昧ですが、デザイン関連の雑誌か書籍で掲載しているのを見るたびに、その美しさにため息をついていたのを憶えています。
これはアディダスのImpossible Is Nothing. キャンペーンのポスター。モハメド・アリ渾身のガッツポーズにアリ自身の言葉を載せています。アリは不可能という言葉が嫌いでした。この言葉を同社のスポーツに対する姿勢と重ね合わせています。
正月広告といえば金色や赤色などおめでたい色に彩られた華やかなものをよく見ます。でも、井上嗣也さんが手がけた89年のパルコの正月広告“Tree〞は、モノトーンでざらっとした巨木の質感とその存在感に圧倒される、およそ華やかな正月らしさとは無縁のポスターでした。
白い背景の上に置かれた、血に染まった軍服。おもわず目をそらしたくなる強烈なビジュアルは、旧ユーゴスラヴィアの内戦で戦死した兵士の遺品です。これはイタリアのアートディレクター・写真家のオリヴィエーロ・トスカーニが94年に手がけたベネトンのグラフィック広告で、日本を含む世界50ヵ国の主要な新聞に出稿され、話題を集めました。
1990年4月1日、僕が博報堂に入社したその日、大貫卓也さんが手がけたとしまえんの「史上最低の遊園地」が出稿されました。
『Chairman Rolf Fehlbaum』は、椅子メーカー ヴィトラ社のオーナーであるロルフ・フェールバウムの業績を称えたビジュアルブックです。