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デザインの見方

資生堂「花椿マーク」に見るデザインのエッセンス

信藤洋二

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資生堂「花椿マーク」。資生堂初代社長 福原信三がデザインし、山名文夫が現在のデザインとして完成させた。

企業の視覚的エッセンスが凝縮されたマーク

資生堂のシンボルでもある「花椿マーク」が生まれたのは1915年、初代社長である福原信三が自らデザインしました。私は92年に資生堂に入社しましたが、当時はこのマークがパッケージや広告に使用される機会も少なく、どちらかというと昔の商品に使われていた印象が強く、見ると懐かしさを覚えるものでした。入社後さまざまな仕事に携わるうちに社史や、花椿マークの成りたちを知るようになって、このデザインには資生堂という企業の視覚的なエッセンスが凝縮されていると、改めて感じるようになりました。

資生堂はもともと洋風調剤薬局として1872年銀座に創業され、当時は商標として「鷹」のマークが用いられています。後に化粧品中心の事業を展開するようになった際に、初代社長福原信三が自ら花椿マークの原形を描きました。当時の商品の中で、「香油 花椿」という髪油が高い人気を得ていたことや、椿の原産国が日本であること、その花に女性らしさが感じられることから、椿をモチーフとしたそうです。

信三は社長就任前にアメリカやヨーロッパへビジネスや芸術を学びに行っていたのですが、当時はアール・ヌーヴォー全盛の時代。化粧品やファッションの近代的なイメージを生み出した欧米文化や、新しい芸術運動のうねりを肌で体験します。そんな信三が生み出した花椿マークには、自身が影響を受けたアール・ヌーヴォーの柔らかい曲線が用いられ、銀座という街から最先端の化粧品を紹介したいという決意が込められているようです。

このように歴史を紐解いていくと、このマークには会社のフィロソフィーが凝縮されていることに気づかされました。戦前はまだ手描きの雰囲気が残る素朴なものですが、最終的に現在のかたちに整えたのは、我々インハウスデザイナーの大先輩でもある山名文夫です。彼はこのマークについて「次の世紀を担う人たちは、どんな仕事をしたらよいか。しなければならないのか。それは、このマークとロゴタイプから目を離さない、じっと見つめることで理解がつくに違いない」という言葉を残しています。その言葉の意味が少しずつ私にも理解できるようになってきました。

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