四季折々の、あるいはイベントに合わせてさまざまな味覚を楽しめるのは、日本ならではの文化かもしれない。催事ごとに「食」を打ち出すことはプロモーションにも貢献する。しかし近年、節分に食べる「恵方巻き」の大量廃棄や、土用の丑の日に食べるうなぎが絶滅する危険性について、大きく報じられることも多い。市場拡大が前提とはならないこれからに向け、方向転換が必要だ。

仏スーパー「Intermarché」の食品ロス低減キャンペーンで使用されたポスター。規格外の野菜やくだものを、「不名誉な(Inglorious)野菜とくだものたち」と掲げ、「料理してしまえば同じ」などのフレーズを添えておしゃれなポスターに。廃棄せずに3割引きで販売したところ、野菜やくだものの売り上げが10%伸びたという(編集部)
過熱する恵方巻戦略はサステナブルではない
恵方巻の大量廃棄が一般の方にも知られるようになってきたのは、Twitterなどのソーシャルメディアの影響が大きい。筆者は2016年から恵方巻の大量廃棄について問題提起を続けてきた。2018年にはオーサー(執筆者)となっている『Yahoo! ニュース個人』や『ダイヤモンド・オンライン』、朝日新聞の取材記事(2018年2月3日付)で意見を述べた。
その結果、2月4日の夜から翌5日にかけ、筆者の記事を読んで、恵方巻大量廃棄を取り上げたいというテレビ局からの取材依頼が相次いだ。2月5日放送のTBS「Nスタ」に取り上げていただいたが、電話が一斉にかかってきて、すべて取りきれないほどだった。この問題に関する問題提起は続けているものの、改善の兆しもみられないし、来年も続くのだろうか……と思うと、暗澹たる気持ちになり、ため息が出た。
そんな時、ある人が、兵庫県のスーパー「ヤマダストアー」のことを教えてくれた。恵方巻の大量廃棄は「もうやめにしよう」という広告で、社会へ一石を投じた内容だった。
「作る量を増やさないので欠品するかもしれないが、そんな時にはご容赦ください」という説明には、「枯渇する海洋資源を使う恵方巻を、ムダにはしたくない」という食べ物への敬意と愛情が伺える。スーパーは欠品を恐れて多めに準備し、結果、余って廃棄というパターンがほとんどだ。こんな潔いスーパーもあるのだと思い、うれしくなった。記事も書いた。
小売業の過剰仕入れが変革を迎えている
なぜそんなに大量に仕入れるのか。欠品し、販売チャンスを失ってはならないからだ。ある小売業は「食品ロスより、販売チャンスロスの方が重大だ」と明言している。小売の方の言い分は「お客さまのため」。「せっかく買い物に来てくれたお客さまをがっかりさせてしまう」「ご不便をかけてしまう」。
でも本音は、「商品がないとお客さまがよその店に行ってしまう」「売り上げを失ってしまう」といった、自分本位の考え方ではないだろうか。同じ業界内でも、本部と店舗オーナーとの上下関係があり、売れ残りの経費はすべて店舗オーナーが持つため、本部の懐は傷まない事例がある。これなどは、大量に発注させて大量に廃棄するのを加速させているのではないだろうか。
ヤマダストアーは広告で、「今年はもしかしたら早くになくなるかもしれないけど、ヤマダはこれ以上成長することよりも今を続けられることを大事にしたいです」とうたっている。つまり、欠品するかもしれないと言っている。欠品=売り上げの損失だ。しかし、それよりも「資源を大切にしたいのだ」というメッセージだ。
そこには、食べ物への敬意と利他の精神がある。そして、ただ単にモノとして売るのではなく、「1本1本心を込めて巻きました」と、食べ物に愛情を込めて売っているのだと語っている。
「対前年比○%増」は持続可能か
ヤマダストアーの広告全文を見ると、最後にこう書いてある。
「今年は全店、昨年実績で作ります」
「昨年実績で作る」という言葉は、商品やサービスを製造・販売する企業に勤めている人ならすぐピンとくると思う。多くの企業は、前の年の同じ月にどのくらい売れたか(実績)を見て、当年の生産計画や販売計画を立てる。たいていの場合、昨年より多めに計画を立てる。
ヤマダストアーも、朝日新聞への取材で「スーパーでは『去年より多く作る』のが常識」と答えている。「対前年比○%増」という言葉もある。だが、人口が減っているのに、何をどうすれば恵方巻の売り上げがこの先も永遠に増え続けるのだろう。恵方巻だけではない。コンビニを取材した時、とにかく何でも「前年比で増えること」が求められると聞いた。
おでんもクリスマスケーキの売り上げも、店舗の出店数も。右肩上がりのグラフは経済系メディアでよく目にするが、昭和の時代の栄光を、平成が終わろうとしているいまになっても引きずっているように見える。いつまで右肩上がりが続けられるのだろう。それは「持続可能」(サステナブル)なのだろうか …