第61回「宣伝会議賞」で審査員を務めるコピーライター・クリエイターの皆さんに、5つの項目でアンケートを実施。課題に取り組むヒントや、行き詰まった時に背中を押す、心強いメッセージをいただきました。
※誌面に掲載しきれなかったコメントは、順次「宣伝会議賞」SNSアカウントで投稿予定です。
Q.1 応募に関するエピソードをお聞かせください。
当時、名刺にはコピーライターと書いてあるものの、自分がそれを名乗っていいのだろうか?という思いがありました。賞をいただけたことで、前より自信を持って名刺を渡せるようになったと思います。
石田 文子さん
コピーライターになりたての当時、実生活では何も仕事を任せてもらえない自分が「クライアントもお題も自由に選び放題!」という状況に胸が弾んだ。制約のないコピーワークは自由で不安で面白かった。
岩崎 亜矢さん
毎日「何本書こう」と決めて、ゲームみたいな感覚で応募していました。当時はアナログで、応募用紙を作ったり、何度も郵便局に出しに行ったりして大変でしたが、よくあんな情熱あったなあといまは思います。
こやま 淳子さん
ガスの強い火力で炊き上げる炊飯器の課題で書いた「全米総立ち」というコピーが三次審査まで進むも、受賞歴はありません。ダメダメな応募者でした。
赤城 廣治さん
先輩と一緒にカフェでコピーを考えているときに、先輩の書いたコピーがすごい!と思い、悔しさとか焦りとかで泣けてきたことがありました。自分と向き合えていなかったな、と思う出来事です。
石本 香緒理さん
授賞式で、とある審査員のかたとお話しして名刺交換させてもらいました。その後、TCC新人賞を受賞した時にお祝いのメールをいただいたことがすごく嬉しかったです。覚えてもらえてた!と感動しました。
占部 邦枝さん
締切ギリギリまで考え、深夜の銀座の京橋郵便局に消印を付けに行くと、同世代の仲間が同じように来ていてその後に飲みにいったりしました。プロになる訓練として、なるべく多くの課題に取り組むようにしていました。
勝浦 雅彦さん
新人の年にファイナリストに入りました。グラフィックの賞と違ってADと組むことなく、コピーライターの自分一人で自由に考えて応募できるので「なんて気楽なんだ」と嬉しかった憶えがあります。
郡司 音さん
学生時代に闇雲に千本以上書いて出したらたまたま奨励賞がもらえて、根拠のない自信が芽生えた。
鈴木 晋太郎さん
社会人になってから応募したのですが、子供の誕生と応募締切が被り、大慌てで、郵便局に行ったのを覚えています(笑)。当時は、数を出すことに夢中になっていたので、封筒がパンパンでした。やはり量より質ですね。
森 宜久さん
応募しようと書くことで自分の非力さが見えた。なにかの真似っぽい。とりあえず書いてみた言葉。語呂合わせしてみた。で、何を考えなきゃいけないんだっけ???そんなループを繰り返すことでも前進してたりします。
米澤 克雄さん
コピーライター4年目に一度だけ応募。3企業に各1本ずつコピーを考えました。結果は一次審査も通らず…。落ち込んで、以来応募はしませんでした。いま思えばたった3本で勝負しようなんて甘かったぞ、と。
李 和淑さん
アイデアの限界を見てみたい!と思い立ち、学生時代に宣伝会議賞に挑戦しました。長期間同じ課題を考え続ければ、いつかアイデアは枯れるものだと思い込んでいましたが、限界なんてないことがわかりました。
押部 由紀奈さん
大学で入りたかったゼミに落ちて、大学近くの書店で宣伝会議と出会ってたくさん応募しました。2年目の挑戦でまぐれの協賛企業賞を受賞することができて、自分にもできるのか!?という勘違いを与えてくれました。
小島 翔太さん
新卒で広告代理店に入りたかった。でも受からなかった。自分を落とした人たちを後悔させてやりたい。そんな負の感情が原動力となり、ペンを走らせ続けた。グランプリ受賞作は、そうやって書いたコピーのひとつです。
日野原 良行さん
当時、応募期間中は頭の片隅に宣伝会議賞を置きながら生活していました。手ごたえのあるコピーは、街を歩いている時や入浴中など、日常の中のふとした瞬間に思いつくことが多かったです。
水野 百合江さん
Q.2 広告界を目指したきっかけを教えてください。
「何か作る仕事がしたい」というぼんやりした希望で就職した会社で、たまたまコピーライターとして採用されました。コピーライターって何?と思いながらも、やってみたら面白かった。という感じです。
石田 文子さん
広告界というよりは、言葉の仕事がしたくて、コピーライターに行き着きました。
こやま 淳子さん
20歳のときに糸井重里さんの存在を知って、こういう仕事をする人になりたいと思いました。まあ、糸井さんのレベルにはさすがに到達できなかったですが(泣)。
谷山 雅計さん
教師をめざしていた大学2年のとき、新潮文庫の中吊りポスターの「拳骨で読め。乳房で読め。」というコピーに出会い、電車を降りるのも忘れるくらいの衝撃を受けたのがきっかけです。
赤城 廣治さん
自分は何者であるのか。何者になりたいのか。全くわからないまま、もがいていた時期がありました。もがきながらも自分は広告が好きなんだ、コピーが好きなんだ、と自覚する瞬間があって。きっかけは「好き」でした。
尾崎 敬久さん
中島信也監督の日清カップヌードル「hungryシリーズ」CMを見て、こんな面白いCMを作る人になりたいと思い目指したのを覚えています。
國武 秀典さん
幼いころから言葉が好きでした。だから大人になって、言葉を中心に自分の人生を生きていけたら楽しいだろうなぁと思って、この仕事を選びました。
郡司 音さん
表現できる仕事がしたかったこと。中島らもさんが好きだったこと。
忽那 治郎さん
本が好きで文学部に入り就職は出版社が第一志望でした。いま思えば自分には広告が向いていたと思います。結果オーライです。
渋谷 三紀さん
ほんとうに偶然。
下東 史明さん
OB訪問で出会った濱田雄史さんに「(コピーライターは)日本語ができればなれるんちゃう」と言われたこと。
鈴木 晋太郎さん
今この瞬間に面白いと思っている表現手法や言葉、なるべく鮮度が落ちないうちに世の中に広く提示できて反応を確かめられるのは広告なのでは、と思って志望しました。
武井 慶茂さん
学生時代にラジオやテレビのハガキ職人を経験したことで、お題に対して言葉やアイデアでこたえていく仕事に就きたい、と思うようになりました。
野澤 幸司さん
人の心を動かす表現が作りたかったから。
濵田 雄史さん
学生時代に広告論の授業で岡康道さんのCMが紹介されて、こんな面白い...