製造工場で起きた爆発事故 向き合わざるを得ない現実〈前編〉
2年前、東京のトーミョー食品本社から宇都宮の工場へ異動した総務部課長の森川遼。ある朝、部下の川瀬雄太から信じられない連絡が入る。それは、工場の製造棟で爆発が起きたというものだった。総務部長の丹後圭司らは対策本部を設置する。しかし、かつて作成された危機対応マニュアルを活かす者はいなかった。
広報担当者の事件簿
【あらすじ】
大手下着メーカーのフレイア繊維。新商品発表会を翌日に控え、広報部の神川真央たちは準備に追われていた。市場開拓に向けて社内の熱気が高まる一方、SNSを担当する神川は部長の佐久本しおりからインフルエンサーの役割を期待されることにプレッシャーを感じていた。そして発表会当日の朝、神川の携帯が鳴る。
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「七千か。一昨日より反応がいいわね」
カーテンを開けるとすぐにスマートフォンの画面を操作する。昨夜は明日に迫った新商品発表会の資料づくりで遅くまでパソコンを見つめていた。目が痛くなり休憩しようと時計をみると、すでに一一時を回っていた。
広報部に異動して二年が過ぎたが、新型コロナウイルス感染症の影響で昨年四月から社員の七割が自宅でのリモートワークとなり、会社に出勤するのは週一、二回に減った。“痛勤”電車に乗る必要のない身体は楽だが、社会から取り残されているような孤独や焦燥を感じることもある。
もうすぐ梅雨が明けて大好きな夏に向けてテンションが上がる時期なのに、リモートワークはいまだ続いている。明日は一週間ぶりに部のメンバーと顔を合わせて会話ができる。コロナ前までは毎日顔を合わせるのが苦痛だったことを考えれば、人間とは我儘な生きものだなと思う。
神川真央はスマートフォンで自社商品やイベントの情報を投稿しているSNSアプリをタップした。担当者としてコメントを載せている“真央の今日のひとこと”はフォロワーから人気を得ている。企業アカウントの立ち上げから担当して一年半。フォロワー数は八万五七〇〇人だが、ひと月後には桁が一つ増えそうな勢いで増え続けている。
いち社員である神川にしてみれば、SNSのファンが増えようが増えまいが、会社からもらえる給料は変わらない。しかし、始めたころはただの業務として義務的にアップしていた投稿が、今では責任に変わっていた。今日アップする写真はもう決まっている。朝食のトーストをかじりながら、スマートフォンで投稿の文面を再チェックする。
始業の九時まであと三〇分。リモートワークとはいえ最低限の身だしなみは整えないと。神川は誰に見られるわけでもない顔にファンデーションのパフをあてはじめた。
「全員揃ったかな」モニター画面から広報部長の佐久本しおりの声が聞こえてくる。広報部は部長を含め四人だけの所帯でけっして十分とはいえない人員配置だが、不満を言っても仕方がない。決めるのは会社だ。「少数精鋭で突き進むしかない」が佐久本の口癖だった。
「神川さん、明日の資料揃ってる?」できてるわよね、と言わんばかりに佐久本の顔が迫ってくる。「できています」プレッシャーを感じながら明るい声で応じる。佐久本の指示を受けながら、緊張を気取られないよう笑顔で全員にファイルを送る。「オッケー、これでいきましょう」ひととおり資料を読んだ佐久本の合図で議論が進む。明日の新商品発表会にはマスメディアはもちろん、影響力のあるSNSインフルエンサー数人も参加する予定だった。
テレビや新聞といった媒体は最近でこそデジタル版と称した電子媒体に力を入れてはいるが、視聴率や発行部数の右肩下がりは止まらない。企業はSNSによる発信に力を入れ、フォロワー、言い換えればファンの多いインフルエンサーに発信してもらうことで商品の認知度を向上させている。企業によってはSNSの発信を中心にしているところさえある。
「神川さん、あなたもですからね」「⋯⋯はい」あなたもインフルエンサーなのよ。佐久本が言外にプレッシャーをかけてくる。昨年、四一歳で最年少の部長として広報に移動した佐久本は、就任してからというもの積極的に新商品発表会を開催している。
神川がSNSを担当しはじめた頃は、投稿も週に一、二回という“業務のついで”感が部内にあった。だが、佐久本が広報部長に就任してから状況が一変した。「毎日、いや日に何度投稿してもいいわ」“真央の今日のひとこと”も佐久本のアイデアだった。自分からやらせてくださいと言ったわけではない。できればやりたくない。しかし佐久本が神川の本音など意に介するわけもない。「あなたの投稿で商品のイメージが変わるの。頑張ってね」
創業から七〇年の歴史を持つフレイア繊維は、全国の百貨店や商業施設と取引を行う下着メーカーだ。ここ数年、販売が停滞してきていたところに新型コロナウイルス感染症の影響が追い打ちをかけ、売上は急激な落ち込みをみせていた。業績はまだ復調してはいないが、インターネット販売は昨春から伸長している。コロナウイルスの影響で外出を控える人が増えたという要因はあるにせよ、神川の投稿が本格的に始まった時期とも重なっていた。
「ちょっといいですか」今回の発表会担当である同僚の足立海路の顔が映し出された。「足立君、どうぞ」佐久本が発言をうながす。「明日の発表会ですが、テレビ三局、業界紙含め新聞二三社、雑誌一二社が参加予定です。インフルエンサーは四人」「神川さんを入れて五人ね」「神川さんを含めて四人です」私は...