赤瀬川原平のパロディーとユーモア
これまでデザインに関して、たくさんの人やものから影響を受けてきました。その中でもデザインに対する態度で最も影響を受け、今もたびたび思い出すものがあります。それは、前衛芸術家の赤瀬川原平が1970年代に週刊誌『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)で連載していた『櫻画報』です。
デザインの見方
2006年に独立するまで、僕が在籍していたのは野田凪さんの宇宙カントリーです。03年、野田さんが宇宙カントリーを立ち上げたときから参加しました。それ以前に在籍していたサン・アド時代から、彼女とは5年近く仕事を共にしました。
最初に会ったのは、大学を卒業した直後のTDC賞展の会場。僕はサン・アドを落ちたのですが、どうしても入りたくて、後日、野田さんにアポイントをとって作品を見てもらいました。そこからいくつかのデザイン事務所で仕事を覚えて、再度サン・アドを受けるチャンスが巡ってきました。面接の日に、会社の入口に貼ってあったのが、このポスター。そのときは誰がデザインしたか知らなかったのですが、とても惹かれました。幸いサン・アドに受かり、このポスターを制作したのが野田さんだと知ったのです。
それ以前の野田さんの作品はTDC賞に入賞したトニータナカのポスターのように、手描きのイラストが多く、不思議なデザインをする人だなという印象でした。だから、このポスターを野田さんがデザインしたと知ったとき、失礼な言い方かもしれませんが、あれ、こんなにきちんとデザインができるんだ、と驚きがありました。メッセージのわかりやすさ、シンプルだけど大胆なビジュアル、広告として人の目を引きつける要素が、このポスターにはすべて入っていました。
入社後、野田さんは僕の上司になりました。年齢は同じなのですが、社会人としての経験は彼女のほうが長かった。一緒に働いてみてわかったのですが …