異業種コンテンツに飛び込む武器「パイロット」の可能性
映画や番組の制作前に試験的につくられる短い映像「パイロットフィルム」をご存じでしょうか。名作映画から最新作まで、そうした貴重な映像を集めた映画祭「渋谷パイロットフィルムフェスティバル」が、2024年12月に開催されました。発起人を務めたのは、Whateverの川村真司さんと、CHOCOLATEの栗林和明さん。
青山デザイン会議
住む人にとって、自分の街が面白くなるとはどういうことだろう?例えば、住まいに今より愛着を持てること、休みの日に街をめぐりたくなること、ご近所に会いたい人ができること、お気に入りのお店を見つけること、地元の企業が元気に活動していること、子どもたちが楽しそうに遊べるようになること...住む人と街が幸福な関係を築いている場所は、自然とよい評判が生まれ、人が集まり、活性化していく。そこに企業も注目し、よいスパイラルが生まれていく。そんな状態を実現するために、どんな視点やクリエイティブが求められるのだろうか。
都市デザイン、コミュニティデザイン、地域ブランディングなど、さまざまなアプローチが可能な「街」というテーマには、今後これまで以上に多彩なプレイヤーが参入していくと思われる。高齢化や人口減少という日本の街がこれから向き合わなければいけない変化を、街にとってポジティブな変化に変え、住みたい街をデザインしていくには。商業施設や都市開発に取り組み、ポートランドについての著作もある吹田良平さん、「東京R不動産」の設立者でもある建築家の馬場正尊さん、近年人気急上昇中の「街コン」の仕掛け人、吉弘和正さんの3名にお話しいただく。
馬場 東京R不動産を立ち上げて10年、ずっと空間をつくることと、その情報を伝えるためのメディアづくりを続けてきました。ここ2、3年でモードチェンジしていて、公共空間をテーマに取り組んでいます。これまで行政に任せきりにしてきた空間こそ、もっともリノベーションを必要としているのではないかということで、最近はパブリックセクターに関連する建築や都市開発の仕事を手がけています。
吹田 僕は商業施設開発を30年やってきました。ポートランドの取材・研究を始めたきっかけも、日本の商業施設を取り巻く閉塞感を打開するヒントを探しに、アメリカの商業施設を巡るツアーに参加したことだったんです。ツアーの一環でポートランドを訪ねたのですが、バスから街に一歩降り立った瞬間、空気が全く違うんです。何だこれは!と衝撃を受け、そこから『グリーンネイバーフッド』が生まれました。
馬場 吹田さんとはいろいろなところでお会いしていますけれど、いまは本当にどこにいっても、ポートランドから生まれてくる風に出会いますね。それが何なのかを今日は知りたいですし、吉弘さんの手がけられている街コンが、どんな仕掛けでここまで広がったのかもぜひお聞きしたいです。
吉弘 街コンはそもそも、ホームパーティが原点です。僕は「パーティ大学」の異名をかつて持っていたカルフォルニア大学サンタバーバラ校の出身で、大学時代からパーティは身近な存在でした。大学卒業後もイギリスでMBAを取ったり、アメリカの投資会社で働いたりなど海外生活が長く、欧米のパーティ文化に触れて生活をしていて、38歳のときに日本に戻りました。帰国してから日本でもさまざまなワイン会やパーティなどに参加したのですが、ホスピタリティを感じる機会が多くなかったんです。つまらなそうにしている人がいたら声をかけるとか、友人を紹介するとか、そういった気づかいを感じられず、ならばと自分でパーティを始めたのです。最初は15人位の規模で、やがて300人、多いときは500人と規模が広がっていきました。
吹田 それが街コンの始まりですか。
吉弘 きっかけは趣味でしたが、街コンのはじまりは2011年6月に複数店舗を食べ歩きしながら交流するイベントを「街コン」とネーミングしたことからです。厳密に言うと、それ以前もいくつかの地方都市で街コンは開催されていたのですが、統一された名称はなく、「巨大コンパ」「大規模合コン」などさまざまな呼び方をされていました。街を盛り上げる合コンだから、「街コン」と命名したのです。その頃は3.11の震災直後で、日本全体に元気がなく、自粛ムードがありました。震災はもちろん悲しく辛いことですが、ずっと自粛のままでいるわけにはいかない。金融に関わってきたからかもしれませんが、地域の経済を活性化するための前向きな活動が必要だと考え、参加者と街コン主催者をつなぐ情報ポータルサイト「街コンジャパン」を立ち上げたのです。