昨秋発刊され、24万部を発行する長編小説『64(ロクヨン)』の主人公は、とある県警の広報官。警察組織とマスコミとの狭間で悩む広報マンの心理や組織のありようが克明に描かれている。作者の横山秀夫さんに執筆の背景や広報について聞いた。
『64(ロクヨン)』(文藝春秋)は、昭和64年に起きたD県警史上最悪の誘拐殺害事件をめぐって展開されるミステリー小説。D県警広報官の三上を主人公に、刑事部と警務部の全面戦争やマスコミとの軋轢、家族の問題などがからみ合いながら、新たな事件に巻き込まれていく。
マスコミ対応のすべてを書いた
「広報とマスコミの間には、どこまで行っても平行線にしかならない問題が存在するということを、まず提示したかった」と横山さんは話す。『64』では、舞台となるD県警の広報室や広報官の三上義信が、マスコミ各社の県警担当記者らと何度となく衝突する。それは記者会見の会場や県警本部の廊下、記者クラブなどあらゆる場面で繰り広げられる。より詳しい情報を引き出そうとするマスコミと、距離を取りながらうまく付き合い、あわよくばコントロールしようとする警察。その矢面に立つ広報室のスタッフは、記者らの要求に対し強硬に突っぱねる時もあれば、記者クラブやカラオケの席で懐柔に動いたりもする。
背後には組織の力学が働く一方、その組織を構成する個々人の思いが反映され、事態は時に思わぬ方向に展開する。「この種の問題でマスコミが言うであろうせりふはすべて書き尽くしています。一方の警察にも、考えうる対抗策をすべてとらせた。そこらじゅうで何十年も同じ議論が繰り返されているのですから」。
『64』は、昭和64年に起きたD県警史上最悪の誘拐殺害事件をめぐる、刑事部と警務部の全面戦争を軸に展開されるミステリー小説。主人公である三上とマスコミとの軋轢や家族の問題が複雑にからみ合う。「組織と個人のせめぎ合い」をめぐる心理描写は横山作品の醍醐味ともいえる。
広報官を主人公に据えたのはなぜか。「組織の内部だけでなく、外部からも強烈な負荷がかかるのが広報だから」という。横山さんはかつて、地方紙の記者として警察を担当していたことがある。記者の立場で広報に向き合った経験が小説にも生かされている。もっとも、「組織の中での広報官や広報課長の権限の小ささを実感することが多かった」というのが、当時の横山さんの広報に対する印象だ。広報担当者に一定の裁量がなければ、あの手この手で情報を引き出そうとするマスコミと対等に渡り合うことは難しい。最近は多少なりとも広報への理解が進んできたとも言われるが、警察の広報は今に至るまで、難しい役回りを担ってきたといえそうだ。
刑事畑から広報室への異動を命じられた三上は、2年で刑事部に戻ると割り切り広報室の改革に着手する。「広報室は外に向かって開かれた唯一の『窓』なのだ」はその時の三上の言葉だ。
もっとも、それがうまくいかない事態にたびたび直面した。その時の記者とのやり取りはこうだ。
記者▶「広報室は窓だと言ったのは三上さんでしょう。窓なしのブラックボックスでいいんですか」。
三上▶「窓はある。そっちが考えているほど大きくないだけのことだ」。
マスコミと警察の立場の違いを表わそうと考えたときに、「窓」という言葉がひねり出されたという。窓はマスコミが思うほど大きくないし、大きくしようとも思っていない─警察組織のそんな姿勢が読み取れる。
「小手先広報」は見透かされる
横山さんに今の広報について聞くと、「警察と企業とでは役割や業務はかなり違いますが」と前置きしたうえで、「今の広報は危機的状況にあると感じます」との答えが返ってきた。一般的に上手な仕掛けと思われるものほど、見ていてその送り手に対する不信感が募るという。
「コマーシャルにしても、さまざまなタイアップにしても、仕掛けた人やマスメディアの人たちによる『お祭り騒ぎ』を見せられているような気持ちになります。目先の利く人が考えるのでしょうが、そうしたマスコミの特権意識と二人三脚の仕掛けは消費者によって見透かされていることにまず気付くべきです」。
警察や行政の広報にもいる八方美人型の広報対応についても手厳しい。一見「話せる広報」として、マスコミに協力してくれるような姿勢を示すが、「相手によって微妙な差異をつけていくことで『八方美人』は成立します。実は公平ではないから、大きな問題が起こった時に呆気なく関係が崩壊してしまう」と指摘する。「小手先広報がいい広報として喧伝されているように思えてなりません」。
仮に素晴らしい宣伝文句を並べて商品が売れたとしても、使ってみて期待を裏切られたと思ったら商品や企業から離れていく。そして消費者は、企業らによる「楽屋落ち」を冷ややかに見るようになったと横山さん。
「目先の評判や利益を求めるのではなく、しっかり構築したものを広報する姿勢でないと、もはや信頼されない時代です。『策士』みたいな人が最も広報に向いていないと思います」。
広報はもう一人の社長
では、どんな人が広報になるべきなのか、との問いに、横山さんは「自分を裏切らない人」と答えた。
「その組織体の思惑に完全に合致していなかったとしても、自分を裏切らない言葉を言える。それ以外に本当の信頼を生む方法はないと思います」。
仮に、担当者自身が良いと思えない商品を広報しなければならない場合はどうするのか。「だめな商品です、などと言う必要はないでしょうが、自信を持って勧められるものとそうでないものとの違いを、何らかの形で表現してほしい。日頃から半身を組織の外に置く習慣をつけておけば可能なこと」。 もちろん、そうしていくためには組織体のバックアップが欠かせないとも指摘する。「広報は本来社長がやるべきこと。それを移譲するのだから、それなりの権限や専門性、強い認識があってしかるべきです。愚直でも不器用でも、自分を裏切らない人を選び、育て、『もう一人の社長』として押し出す。それが理想の広報体制ではないでしょうか」。
横山秀夫氏(よこやま・ひでお)1957年東京生まれ。国際商科大学(現・東京国際大学)卒業後、上毛新聞社に入社。12年間の記者生活を経てフリーライターとなり、98年に作家デビュー。 |