インターネットが生活に不可欠なものになった一方、インターネット広告の品質問題も深刻化しています。広告業界に求められるのは、こうした事態に目を向け、広告の知恵と創造力で環境改善に向けた働きかけをすることなのかもしれません。電通グループの澤本嘉光氏が考えます。
広告の発展を妨げるアドフラウドの増加
日本のアドフラウド率は世界でワースト2位だと聞きました。(デスクトップで2.6%、モバイルで1.5%。2021年)。「アドフラウド」と聞くと音の響きからはカタカナに溢れた広告用語に煙に巻かれて何やら感覚的には良さそうなもののように感じさえしますが、これは日本語にすると「広告詐欺」。許せないものにいきなり変化します。つくづくネーミングって大事だなあと。
インターネットが生活に不可欠なものとなって久しいですが、そこでの広告がクライアントをそして生活者を「騙そうとする」手法で溢れているのが現状です。汚染されている、といいますか。まあ悪いことをするのにはどうして人間ってこんなに知恵もテクノロジーも使うんだろうという気がします。その多種多様な悪どい手段を調べようとして「アドフラウド」という言葉を検索するとそこでアドフラウドの一種にひっかかるような状態です。
検索結果では一見普通のページ、実は広告だらけのおとりページでいつの間にか広告の表示回数が増える手伝いをしている羽目になったり。記事と間違えてボタンを押したら広告だったり。まあ何を信用していいのかこのネットの秩序、と。それは当然インターネット広告の発展にとって大きな物理的精神的障害となります。
そもそもインターネットの「ネット」という言葉自体が「網」とか「罠」っぽいなんだかひっかかりそうな響きですし、なんとなくインターネット広告の「言語化できない払拭できないいかがわしい感じ」がそこでの悪事を「悪いもの」とだという印象を下げている気がして広告の発展を妨げている感覚が個人的には否めません。
「世界を少しでもハッピーな場所にするために広告にできること」は、まず、すごく大きな話としてこのインターネットにまとわりつく一種の悪印象を取り去ってひたすら健全な空間にする、ということなのでは、そこの健全化が安心して多くの人が子どもから大人まで、クライアントから消費者まで利用してさらなる創造や情報伝達、購買意欲を生む場になるのでは?と考えると...