8回にわたりお送りしてきた本連載。最終回は、「広告少年」の2人を“広告少年”たらしめた所以──TUGBOAT 多田琢さんの登場です。90~00年代の広告のつくりかたや、今の広告についての考えなどさまざま話を聞きました。

自分が見たいものをつくる
吉兼:TUGBOATが設立されたのは1999年。翔太さんと僕は当時中学生で、その頃見たTUGBOATのCMにとんでもなく衝撃を受けたんです。それから今に至るまで、ずっとその記憶が頭から離れずにいて。
松田:そうそう。記憶に残るTUGBOATのCMがどうやって生まれたのか興味があって、この連載でも幾度となく話してきました。みんなあそこを目指して広告をつくっている気がするけど、今の時代ではもうできないんじゃないかなっていうのもあるし。なぜあんなに“わかりづらい”表現のCMが今も明確に頭の中に残っているんだろう、そしてあの得体の知れないカッコよさの正体はなんだったんだろう?と。その辺をお伺いできたらと思っています。
多田:まず初めにこれまでの回でTUGBOATをたくさん挙げてもらって感謝してます(笑)。そもそも自分が今見たいもの・つくりたいものをつくるようにしてきたのはあります。今でもそうだけど、せっかくつくるなら他とは違うものがやりたい。人と違うことがそもそも心地よいことだから。90年代、電通の関西支社には、面白くてカンヌも獲っちゃうような広告を次々につくる堀井グループっていうチームがあって。堀井博次さんや石井達矢さんがいて、盤石と言われるチームだった。
一方で当時の東京の広告は、僕にはちょっとすましているように見えた。企画はよくできているけど、きれいでオシャレで、ちょっとパンクで、っていう。関西のようなギャグは不向きなのかと思えるような景色だった。でもその中で山内ケンジさんがやっていたことに劇団的な面白さを感じて、自分にはすごく新鮮で。もしかして東京のギャグってあるんじゃないの?と。そこからブルボンや「むじんくん」(アコム/「むじんくん 限定モデル+ゲーム」篇など、1996年公開)のCMとかをつくった。
当時東京のコマーシャルでは、若者言葉、たとえば「~~じゃん」とかっていうセリフは、「~~ですよね」とかに全部直されちゃう。だけど関西の広告では「なんでやねん」とやっているわけで、なぜ関西ではできて東京ではできないの?と思っていたから。それで「むじんくん」では、自分たちがしゃべっているリアルな言葉でCMにしちゃおう!と。
松田:僕らが普段使っている言葉がそのまま使われてたから、すごく印象的でした。当時は説教くさい広告が多いように感じていたんですけど、その中で感覚で物を言ってくれる感じがすごくスッキリして、仲間がいるような気分になったんです。
吉兼:僕もそうでした。前も話したんですけど、「むじんくん」って名前の学級新聞をつくってたんです(笑)。
多田:それは嬉しいけどやり過ぎ(笑)。でも何かをズラすって、企画のキモだったりするよね。「CMでは若者もきちんとした言葉を使う」みたいな固定観念がある時には、それをズラすと意外と面白いものがつくれる。みんなが絶対そうだろうって考えているところにチャンスがあると思ってた。
松田:なるほど。現実味のある世界に、明らかに異物があたりまえのようにいる、とかですね。普通の学校のシーンにセーラー服を着たお年寄りが入ってきて、周りもあたりまえのように「おはよ~!」「昨日のテレビさー」って話しているとか(笑)。浅野忠信さんとの富士ゼロックスの一連のテレビCM(「バスルーム」篇など、2000年公開)もそうですよね。お兄さんが自宅でお風呂に入っているところに、スーツ姿の浅野さんがいきなり来て、そのまま湯船につかり、水鉄砲で顔に水をかけるっていうすごい展開の(笑)。お兄さんが現実でいてくれているから、浅野さんの異質さが際立って面白かったです。
多田:あの時はもうとにかく過激なものしかやりたくなかった(笑)。営業の人に「止めてください!」「無理ですこんなの!」って言われるのが快感だったから(笑)。
一同:(爆笑)。
多田:あれがオンエアできただけでも、いい時代だなと思うよ。お風呂に不法侵入、水鉄砲で暴力……。今はコンテの時点で全部ダメだろうなぁ(笑)。
松田:広告ファンの俳優としては、オファーされる広告の企画が変なものであればあるほど、これをどうにか世の中に出したいから「企画通れ企画通れ……」って祈ってますよ(笑)。でも最近は、過激な企画だと実現できないものも多いですよね。
多田:そうだよね。あの頃は「過激だね」と言われるのが一番の褒め言葉だったからなぁ。
吉兼:でもプレゼンの時とかは、どうやってああいう企画をクライアントに通してたんですか?
多田:どうだったかなぁ。でも、絵コンテの時点ではわからないから通せていたのかもね。(CMディレクターの)関口現の絵がまたかわいくてさ。シビアな内容でも絵で見ると意外と大したことないかもね、って。そんな感じだったかもしれない(笑)。
調査で測れないもの
吉兼:最初におっしゃっていた、自分がつくりたいものと、戦略的に世の中で空いている場所を取りに行く、というのは、どんな風に考えてフィットさせていたんですか?
多田:自然とそうなるんだろうね。自分が見たいものやつくりたいものをつくりたいじゃない。で、つくるからには人とかぶらないものがいいと考えるとね。たとえば自分がギャグを好きでも、世の中にギャグのCMが増えすぎたら、もうお腹いっぱいだよって。最近は若者に媚びているように見えるCMが多いから、今だったら「むじんくん」をつくりたいと思わないだろうしね。空いているか空いていないかは見る側の気持ちになって自然と感じることに任せてる。
松田:そうすると、当時から世の中のCMはかなり見てました?
多田:そうでもないんだよね。でもそれって、みんなわかることなんじゃない?今ってちょっとみんな怯えながらCMつくってるよね、とか。自分が過激な表現が好きだったからって、ここ数年の地球の、日本の状況で過激な表現を広告で見たいかといったら、それは自分も見たくない、とか。
松田:たしかに、それはそうですね。じゃあ振り返ると、2000年とか、あの頃の時代のご自身の表現は好きですか?
多田:もちろん好きだよ。やってみようと思った企画はほぼ実現できていたから。以前に大貫(卓也)さんとの対談で、大貫さんの作品集の巻末に掲載されていたボツ案の話で盛り上がったんだけど、俺が「全仕事本」的なものをつくるなら意外とボツ案がないなと思ったの。
松田:割と何でも実現できていたんですか?
多田:ありがたいことにね。あとプレゼンも2案くらいだったから、どちらかはやれる。ダメだった方は他でやるとか(笑)。悔しい思いはむしろ今のほうが多い。今、ボツビデオコンテ集を出したらすごくカッコいいと思うけど(笑)。いい企画だったのになぁ!っていうのも多いよ、最近。
吉兼:多田さんでもそうなんですね。それは時代性ということですか?
多田:いや、単に自分の力不足。クライアントにやろうと思わせる何かがあれば、実現できたのかもしれない。プレゼンができているのに通せなかった、説得できなかったというのは、こちらに責任があるんじゃないかな。悔しいけどね。
松田:たとえば以前なら直接的に商品を訴求する表現でなくても企画が通っていたのが、今はちゃんと説明してくださいと求められるようになってきていますよね。その状況で多田さんのオリジナル性を出そうというのは難しいものですか?
多田:それがうまくいっていたら、もっといっぱい広告をつくっているだろうから。自分のやりたいことができづらい環境にある、というのは否定できない。
松田:かといって、それをわかりやすくすることも難しいというか。
多田:そこそこ!(笑)。難しいよね。自己否定をするようなことはしたくないから。結局そういうものに勝ちたいじゃない。
吉兼:勝ちたいです。でも、最近はデータでCMの質が判断されることもある気がしていて。動画も再生回数とか、映画も興行収入とか。
松田:動画は再生回数というひとつの尺で勝負させられがちだけど、僕はたとえばYouTuberの方々が配信する動画と、広告の映像というのは違うと思うんですね。YouTubeの動画は、話の間をカットしてつなげてテンポよく見せるものが多いけど、俳優としてはその“間”が大事なのになぁと思います。
多田:全然違うものだから、凌駕されるということもないだろうと思うよ。ただ...