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青山デザイン会議

D&AD 賞から、多様な時代を生きる「グラフィックデザイン」を考える

菊地敦己・平林奈緒美・中村至男・古屋言子(D&AD)

イギリス・ロンドンに拠点を置く非営利団体、D&AD(Design & Art Direction)が運営する「D&AD賞」は、デザインや広告の独創性を促し、支援することを目的に、1962年に創立されたクリエイティブアワード。57回目となる今回は、全35カテゴリーに2万6000点を超えるエントリーがあり、全世界から集まった270名以上の審査員によって審査が行われました。今年は6作品がブラックペンシル(最高賞)に選出。また近年では、日本からの参加点数も増加しています。

今回の青山デザイン会議に集まったのは、同賞のグラフィックデザイン部門で審査員を務めた経験がある菊地敦己さん、中村至男さん、そして平林奈緒美さん。さらに、D&ADのリージョナルマネージャー 古屋言子さんも加わり、D&ADを通じて見えてくるクリエイティブアワードの現状や課題、また多様化するグラフィックデザインについて語っていただきました。

Photo:amana photography Hikaru Otake Text:rewrite_W

現場から感じるアワードの課題

古屋:D&AD賞グラフィックデザイン部門は、当賞の中でも特に応募数が多い部門ですが、審査が年々難しくなっているように感じます。最近はデザイナーも、紙のバックグラウンドがある人もいれば、オンスクリーンから始めたという世代もいます。そういう中で、時代を反映した審査基準やカテゴリーの再定義はあるものの、50年以上前の定義で審査するのは無理があるのではないか、とか。今年、審査員を務めた菊地さんは、どんな印象を受けました?

菊地:グラフィックデザインといっても、ポスターみたいなペーパーメディアだけじゃなく、データビジュアライゼーションなどオンスクリーンの作品も含んでいて、もはや一言では集約できなくなっています。

中村:僕は2018年度の審査ですが、劇場に貼ってあるポスターと、最新のオンラインキャッシングシステムなどが一同に見られたりして、何でもあって面白かったです。

菊地:これはあくまで僕の感想ですけど、コンペの傾向と対策でつくられているような作品が多くて、創意を感じるものが少なかったのが残念でした。

古屋:どのアワードも最初は、純粋にみんなのレベルを高めるためにスタートしたと思います。それがいつの間にか、賞をとる喜びが前に出すぎてしまっているという現実もあって。審査員にどうやって正しいジャッジをしてもらうかも課題ですね。

平林:私はグラフィック部門の審査を2回やらせていただいているのですが、特に2回目に感じたのは、日本だけでなくイギリス本国のいいデザインが出品されてないなということ。それと、複数部門にエントリーしている作品がとても多い。アワードに対してアグレッシブなデザイナーと、そうじゃないデザイナーが明らかに分かれてきているというのは感じました。

中村:当たり前だけど、コンペって出した人の作品しか並ばない。日本からの出品も同様で、「日本のグラフィックはもっと多様で幅広いのに、全部は出ていないなあ」と思いながら見ていました。

平林:古い話で恐縮ですが、私が初めてD&ADに応募したのは、まだインターネットもない頃。当時、駆け出しのデザイナーが自分の仕事を知ってもらうには、目立つアワードで受賞するのが手っ取り早かったから、みんなこぞって出品していました。でも今は、アピールする場は他にもいっぱいあるので、最初からアワードに見向きもしない人もいっぱいいる。これはD&ADだけじゃなくて、世界的な流れですよね。

中村:僕が若い頃は、もっと賞への憧れもあって、名実が一緒になっていた気がする。立花ハジメさんのADC賞グランプリ(1991年)なんて、気絶するほどシビれましたね。

菊地:受賞すると儲け仕事が増えるから、高級車を買いにいったという逸話もありますね(笑)。真偽は知りませんが。

中村:そんな都市伝説が語られるなんて、粋ですよねえ。

菊地:たしかにコンペティションがメディアとして機能していた時代はありましたよね。

中村:個人的には、アワードはいつまでもトップでカッコよくあってほしい。でも、どうやら今はそうでもないようで、その空気もよくわかる。

古屋:「アワードに文化がなくなったら終わり」というのは、私たちもよく話していることです。若い人が力を試すとか、世界を知る機会としては大切なので、時代が変わろうと環境が変わろうと、押さえるべき基準は押さえなくてはいけない。ただ、グラフィックデザインのように歴史がある分野になればなるほど、時代によって価値観が変わるので審査も難しくなって。

菊地:僕が感じたのは、審査員が「作品がどういうふうに見えるのか」という受け手側の視点を重視して審査しているということ。ちょっと意地悪くいうと、「自分がその作品を選んだことを社会にプレゼンテーションできるか」を基準に選んでいるということです。もちろん全員ではありませんが。

古屋:最近では、イエローペンシルを受賞したインドの乳がんのキャンペーン(※)のように、ソーシャルグッド的な要素の強い作品が増えています。そういう作品に対して、西洋の審査員は「いかにワークしたか」を、一方でアジア圏の審査員は「グラフィックとして見てどうか」というふうに考える傾向がありますね。

Sehat Ka Batua/The Health Purse

菊地:純粋に機能を評価するのであれば反論はないんだけど、ダイバーシティだし、これに入れといたほうがいいでしょみたいな雰囲気も感じてしまって……。僕の場合は、デザイナーが何を考えて制作したか、そしてそこに小さくとも革新的な何かがあるかどうかで選びます。いわば同じデザイナーの目線。グラフィックデザインって、すでに社会に出ているものなので、商業的な価値や社会的な成果はその中で評価されればいいんじゃないかと。

古屋:あるフォトコンテストでも、人権問題や差別を取り上げた作品が上位に進むことがあって、同じような議論がありました。権威ある賞が扱うことで理解が進む面はもちろんあるけれど、そもそも写真のよしあしを語るべきなんじゃない、って。

中村:社会問題に関わる作品は、審査が難しかったですね。言っていることも正しくて、言葉やデザインが「うまいこと」いけばいくほど、逆に事の深刻さと離れていくような気がして、複雑な気持ちになったのを覚えています。

    NORIO NAKAMURA'S WORKS

    絵本『どっとこ どうぶつえん』(福音館書店)

    絵本『はかせのふしぎなプール』(福音館書店「こどものとも」)

    第20回亀倉雄策賞受賞記念 中村至男展 ポスター

    21_21 DESIGN SIGHT「単位展―あれくらい それくらい どれくらい?」ポスター

    中村至男展出品作品「BIRTHDAY」

いろいろな表現・売り方がある時代

中村:今はみんな、ビジュアルやデザインのアーカイブを、アワード年鑑とかじゃなくてネットで見ますよね。

平林:そのほうが圧倒的に情報量が多いですからね。

中村:日本では少し前まで、グラフィックデザインは広告が花形だったけれど、今はいろんなところに表現の場所がある。

菊地:マスメディアという意味では、グラフィックデザインが情報メディアの中心ではなくなったんでしょうね。

古屋:今はものの売り方も多様になっているし、まったく関係のないところからデザインの世界に入る人もいます。

中村:今はいろんな道がありますよね。7年くらい前かな、ある美大の文化祭で、イラスト部の展示がすごくて、で、座ってる男の子に話しかけてみたら、実はpixivの超有名絵師さんだった!さらに聞くと、先生も彼の正体を知らないんだって。こんなに若い人なんだ、って驚いてたら「いやいや最近、すごい中学生が出てきてオレらもヤバいんですよ」って(笑)。

古屋:そうやって、簡単に壁を飛び越えてしまうんですね。

中村:僕は90年代頭に社会人になったけれど、その頃だいたいのデザイナーは企業に就職するか、誰かに弟子入りして独立するかくらいだったかな。菊地くんはちょっと違うよね?

菊地:僕は新人類です(笑)。94年頃にグラフィックデザイナーとアートディレクターを名乗るようになって、ホームページをつくりました。まだYahoo!で検索しても10人もいなかったんじゃないかな。何しろ、楽をしようと思っていたので。

古屋:それは楽なんですか?

菊地:就職したり徒弟制度の中に入らなくても自分で何とかできるわけですから。たぶん、僕はコンピューターがなければデザイナーになっていなかったと思う。

中村:いろんなやり方がある今のほうが、僕も楽しいな。

    NAOMI HIRABAYASHI’S WORKS

    「SKY TREK」ロゴ/機体デザイン

    「SETOUCHI SEAPLANES」ロゴ/機体デザイン

    「MXP®」ロゴ/パッケージデザイン

    「THREE」パッケージデザイン

    「AND THE FRIET」ロゴデザイン

    「VEGEO VEGECO」ロゴデザイン

    「Y.&SONS」ロゴデザイン

    「NEUTRALWORKS.」ロゴデザイン

    『魚大図鑑/サカナクション』
    アートディレクション/デザイン

    『GINZA』アートディレクション/デザイン

健全に賞がある世界はすばらしい

古屋:かつては、アワードが基準になっていたわけですが、今はそれだけではない。では、みなさん何をもってデザインの評価を確かめるんでしょうか?

菊地:そういう意味では、いまだにコンペに参加するのはけっこうよくて、賞をとれるとれないではなく、デザイナー同士の研究発表の場という意味合いもありますから。

平林:私は真逆で、そういうことがあるときから居心地悪くなってしまって、コンペにも一切出さなくなりました。私の場合、評価はあくまで世の中なんです。たとえば雑誌なんて、評価は完全に数字で返ってくる。全然売れなかったけど、デザイン的には良かったねとか、やたらと賞だけとるような仕事は、私の中では大失敗ですね。

菊地:僕は違う評価の場が複数あるほうが好きですね。仲間うちだけの作品になるのもつらいし、売上だけというのも、それはそれでつらい。

中村:僕も絵本を描くとき、子どもたちは絶対にお世辞を言わないから、読み聞かせでウケたときはリアルにうれしいですね。売り上げや賞とも違う評価軸を子どもたちからもらえています。

平林:数字だけって言いましたけれど、たとえば書籍のデザインをして、クライアントでも同業者でもない人から「いい本でした」と言われるのは単純にうれしいし、同業者にほめられるのも、もちろん励みにはなっています。ただこの仕事をする限り、やっぱり世の中の雑多なところの空気とか反応に敏感でいないと、と思って。

菊地:平林さんの仕事って、やっぱり市場との距離のとり方というか、バランスのとり方がうまいなと思う。同業者は、そういうところも見てくれるでしょう?

中村:デザイナーって、基本的には裏方ですよね。だからこそアワードってすごく励みになるし、若い人だったら人生が変わる場所。健全に賞がある世界はいいなあって思うんです。

菊地:アワードには、新しいデザインボキャブラリーの発見もあるし、結果的にトレンドをつくっていくこともありますし …

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