インタラクティブでエンタメ性ある「ゲーム」が広告の可能性を拓いていく
絵画からキャリアを始め、3DCGや現代アートで社会課題に挑むアーティスト、藤嶋咲子さん。「バーチャルデモ」ではSNSの力を可視化し、「WRONG HERO」ではジェンダーバイアスへの問いをゲーム形式で表現するなど、新しいアートの形で人々の抑圧された声を浮かび上がらせている。広告やメディアが抱える課題に対しても、独自の視点を投げかける。
私の広告観
29歳という若さで、メディアアーティスト、実業家、博士であり大学助教も務める落合陽一さん。薄いシャボン膜をスクリーンとする「コロイドディスプレイ」や、音響浮揚「ピクシーダスト」といった超音波やレーザーなど音と光を駆使して「アナログ×デジタル」を融合した作品を次々と生み出す彼は、しばしば「現代の魔法使い」と呼ばれる。そんな落合さんが現在の広告に対して思うこととは。
落合陽一(おちあい・よういち)
メディアアーティスト/筑波大学図書館情報メディア系助教・デジタルネイチャー研究室主宰/ピクシーダストテクノロジーズ 代表取締役/ジセカイシニアリサーチャー。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。計算機科学とアート表現を融合させた作品・メディア装置を次々と発表。2015年には、米theWTNが毎年各分野から一人世界最先端の研究者を選ぶ「ワールド・テクノロジー・アワード」(ITハードウェア部門)にて、日本人としては中村修二以来、優秀な研究者として選ばれた。
コロイドディスプレイで映し出したモルフォ蝶。
落合陽一さんがメディアアーティストとして作品を発表し始めたのは、筑波大学に在学中の2009年からだった。在学中に複数の作品を世に問い、2011年の卒業と同時に起業し、一方で東京大学大学院学際情報学府に入学。大学院修士時代にBRDF(双方向反射率分布関数)の反射研究の一環としてつくった装置がBBC Newsで報じられるなど世界を驚かせた。
「コロイドディスプレイ」という名称で2012年に公開されたその装置は、「数百ナノメートルの薄膜に超音波を当てることで反射特性に変え、映像にテクスチャをつける作品」。落合さんの研究室で公開している映像を見ると、確かにシャボン膜のスクリーンに映された、「生きている宝石」と呼ばれるモルフォ蝶が、青く鮮明に見れる。CG分野で研究されてきた光の計算法を実体ある物質に適応させようという研究から、「実質と物質の境界を計算機によって制御された物理場によって踏みこえる」という博士研究の方向性が決まったという。
翌年の2013年末には、音響浮揚原理を三次元空間に拡張するグラフィック形成技術「Pixie Dust(ピクシーダスト)」を発表。音響ホログラム技術者により任意の場所でモノを浮かせ、浮かせた物体の位置を3次元空間上に配置する。この作品はACM SIGGRAPH(世界最大のCGの国際会議)でもその年のプレスカバーに選ばれ、「Innovative Technologies賞」(経済産業省)および「2014年グッドデザイン賞」を受賞するなど国内でも話題になった。
その後、計算機音響場に関する博士論文を提出し、東京大学大学院学際情報学府の博士課程を異例の早期修了(学際情報学府初)し、2社目の会社を起業し、2015年筑波大学の助教となる。筑波大では助教にして、自らのラボを持ち、デジタルネイチャー研究室を始めた。
着任して3カ月後、落合さん率いる研究チームが、超時短パルスレーザーで空中分子をプラズマ化することで、触れる三次元像を空中に描くホログラムレーザー視触覚再生手法「Fairy Lights in Femtoseconds」を発表。ACM SIGGRAPHでの発表やメディアアートの最高賞であるプリアルスエレクトロニカでHonarary Mentionを受賞するなど話題になった。今も作品をつくりながら、メディア装置の発明によって表現自体をアップデートしていく活動をしている。
「デジタルネイチャー」という発想には、「現在」の落合さんの考えがつまっていると語る。
「今、バーチャルリアリティ(VR)やそれに伴う身体性の有無が着目されていますが、僕は、VRという言葉自体がなくなると思っているんですよ。だって、そう遠くないうちにバーチャルと物理的なものが区別できなくなる時代が到来してすべてがVRになりますからね。もっと言えば人とコンピュータの区別ができなくなる。今までの工業化社会ではあり得なかったことがどんどん起こります。私たちは、生活や社会の至る所にコンピュータが遍在する、ユビキタスコンピューティングの先にデジタルネイチャー(計算機自然)の到来を見据えているんです。デジタルネイチャーでは、人と機械、物質世界(Material World)と実質世界(Virtual World)が限りなく近づき、区別がつかなくなります。例えばCGに見えるものが本物だったり、身体性があり本物だと思ったものが実はCGだったり。またネットでチャットしている相手が本物の人間なのか、もしかしたらbotなのか分からないとか。実際僕のツイートの半分はbotですが、あまり気づかれていないと思います。そうなると、人と機械、実質と物質の区別がつかなくなってきますが、『どっちなの?』と疑っても仕方ない。だから『全部リアルだ』と思うしかなくなるのが、デジタルネイチャーで、そうなったとき、人間は一皮剥ける、脱皮すると考えています。そして多様な未来の形が起こりうると確信しています」。
作品もそうだが、いったいこういう発想の源はどんなところに ...