『パパはニュースキャスター』『さとうきび畑の唄』など、数々のヒット作を世に送り出してきたドラマプロデューサーの八木康夫さん。テレビドラマの黄金時代を築き上げたひとりとして、効果測定による数字のファクトに頼るだけではない、ドラマづくりにこだわる思いを聞いた。
初プロデュース作品が大ヒット ドラマでキャリアアップを目指す
現在はフリーのドラマプロデューサーとして活躍している八木康夫さんは、かつて所属していたTBS時代に多くのヒット作を生み出し、テレビドラマの黄金時代を支えたひとり。
学園ものからホームドラマ、恋愛、社会派、サスペンスなど幅広いジャンルを手がけ、文化庁芸術祭、東京ドラマアウォード、ギャラクシー賞など多数の受賞歴を持つ。マスコミ業界は憧れだったと話す八木さん。
テレビ局で音楽番組を担当することを夢に抱き、早稲田大学第一文学部に入学。大学時代はバンド活動に明け暮れる日々を送った。
就職活動の時期を迎え、校内の掲示板に貼り出された求人票に目を向けると、TBSの募集があった。大学の推薦枠10人に対して800人応募という狭き門だったが、なんと抽選で運よくその枠に滑り込んだ八木さんは、入社試験にも無事合格し、晴れてテレビ局に入社することになった。
入社後は、音楽番組の制作に携わりたいと希望を出すも叶わず、配属されたのはドラマの制作部。
20代はADとして厳しい下積みを経験したと八木さんは語る。「ドラマにはまったく興味がなくて。制作現場は徒弟制度のように上下関係が厳しく、長時間労働でモチベーションもあまり上がりませんでした。
それでもなんとか6~7年ほど経験を積んだ後、初めて作品をプロデュースすることにな...