AI研究の第一線で活躍する、慶應義塾大学理工学部教授の栗原聡さん。生成AIの登場で人工知能が再び脚光を浴び、活用への期待が一気に高まる中、コミュニケーションやクリエイティビティの向上に期待されるAIの現状や課題について話を聞いた。

AIが自律的に意思決定を行うマルチエージェントシステムに着眼
慶應義塾大学理工学部教授で、主に人工知能、複雑ネットワーク科学の領域で研究に携わる栗原聡さん。栗原さんは、「人と共生できる人工知能」の実現を急務と考え、人が人工知能に対して親近感や安心感を感じ、間合いや気配りといった一体感を人と人工知能との間で構築することを目指し、その志を共にする学生たちと日々研究に勤しんでいる。
現在は人工知能のオーソリティーとして活躍する栗原さんだが、学生時代は人工知能ではなく、コンピューターの基盤ソフトに関する研究を専攻していた。栗原さんが学生だった1980年代後半から90年代前半は、まだWindowsは登場しておらず、インターネットもない時代。ノートパソコンなどは、理系の研究者など、ごく一部の限られた人しか使えない状況だった。
加えて当時のコンピューターの性能も未熟で、メモリは今では想像もつかないほどの低容量。「プログラムを書くときには、コンピューターのメモリ量に合わせて慎重に使っていました。メモリをオーバーすると、コンピューターが停止してしまうんです。そうなると、それまで書いていたプログラムが一瞬で泡と消えてしまいかねませんから(笑)。その後、所属した研究室では、メモリを自動制御するプロセスを構築するシステムをつくりました」と苦労した当時を振り返る。
その研究室で出合ったのが人工知能だった。周囲には人工知能を用いた様々な研究を行っている先生が複数人いて、彼らの研究内容に関心を持った栗原さんは、初めて触れた人工知能に未知の可能性を感じ、人工知能に関する研究に従事することを決意した。
「人間の身体はたくさんの臓器で成り立っていて、それらは一つひとつが自律的に機能しつつもお互いに密接に連携を図り、人体という生命活動を維持していますよね。完成された人工知能も複数の多様な人工知能の集合体で、その一つひとつが自律した動きで、互いに協調し連携して一つのものを完成させる、そんなことが実現したらおもしろいのではと感じました」。
そして、いくつかある分野の中から、自律的に意思決定を行う人工知能である「エージェント」が複数存在し相互に作用する「マルチエージェントシステム」という分野を主テーマに、本格的な人工知能研究に舵を切り、現在に至る。
人工知能の進化の歴史と取り残される日本の危機
人工知能の歴史の幕開けは遡ること約70年前。コンピューター開発の父と呼ばれるイギリスの数学者アラン・チューリングが1950年に出した論文『計算する機械と人間』により人工知能の概念を用いた。
その後、1956年に開催された科学者が集うダートマス会議にて、ダートマス大学の数学教授ジョン・マッカーシーが「人間のように考える機械」を「人工知能」と定義したことで学問として確立された。そこから第一次、第二次人工知能ブームを経て、1993年~2020年まで第三次ブームが起こっていた。
「ビッグデータ」と呼ばれる大量のデータを用いて人工知能自身が知識を獲得する「機械学習」が...