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青山デザイン会議

「パリ・フォトから考える、日本写真の今とこれから」

石田 克哉/太田 睦子/大西 洋/町口 覚

今年も11月に、世界最大の写真見本「パリフォト」が、フランス・パリで始まります。「パリフォト」は写真家、ギャラリー、パブリッシャーが世界中から集まり、写真に関わる人にとって重要な場であり、日本の写真家や写真集はこの場で高く評価されていると聞きます。

しかし、そのニュースはなかなか日本には伝わってきません。また、そこで流通されている写真集も日本では手に入りにくく、そこにどんな作家が参加しているのか、どのようなことが語られているのか、ほとんどわからないのが現状です。SNSへの投稿で若い世代に人気の写真ですが、その一方でこうした写真の現場があることはほとんど知られていません。

そこで今回、かねてよりパリ・フォトにさまざまな形で参加している方たちに集まっていただき、パリフォトについて聞いてみることにしました。日本のギャラリーとして早くからパリフォトに参加しているギャラリーMEMの石田克哉さん、若手作家を支援している、雑誌『IMA』編集長の太田睦子さん、国内外の写真集を扱うオンラインショップなどを運営する大西洋さん、そして自らブックレーベルを立ち上げ、写真集をつくり続けているブックデザイナー町口覚さんに、日本の写真の今とこれからについてお話しいただきました。

Photo:parade/amanagroup for BRAIN

本の見方が違うパリフォト来場者

石田:僕がパリフォトに初めて参加したのは2005年で、その頃は日本ではパリフォトはほぼ知られていない状況でした。当時はルーブル美術館の地下の催事会場カルーゼル・デュ・ルーブルで行われていて、参加ギャラリーは80~90、パブリッシャーも20ぐらいの出展。小規模でしたが、居心地のよい空間になっていました。

最初に参加した時、会場がコンパクトなのに熱気があって驚きました。僕らのブースにもたくさんの人が来てくれて、満員で動けない時もあったほど。パリフォトは日本の作品に対して"ウェルカム"で、運営側からも「僕らがまだ見ていない日本の新しい作品をぜひ見せてほしい」と、未知の作品に対する強い好奇心がありました。

町口:僕が初めてパブリッシャーズブースに参加したのは2008年ですが、きっかけは、写真評論家の竹内万里子さんが声をかけてくれたこと。2008年のパリフォトで日本特集が組まれ、竹内さんがディレクターを任されることになったそうで、「日本の写真だけじゃなく日本の写真集文化も紹介したい」と。それで2005年に写真集レーベルを立ち上げた僕を誘ってくれたんです。

僕は英語もフランス語も話せないから、大丈夫かなって思っていたんですけど、でも、いざ行ってみたら、パリフォトはお祭りのような雰囲気で、俄然楽しくなっちゃって。

石田:確かに当時は入口にパブリッシャーズブースが並んで、奥にギャラリースペースがあって、お祭りのような雰囲気でしたね。

太田:私が所属するアマナのIMAプロジェクトでは、若手写真家の支援と育成を目的に、パナソニックの特別協賛のもと、毎年「LUMIX MEETS BEYOND2020」(以下BEYOND)という展覧会を行っています。雑誌『IMA』創刊の翌年2013年からスタートしたのですが、頭の中にはパリフォトがありました。アマナがパリフォトに協賛することも決まったので、世界中から写真関係者が一同に会するその時期に合わせて日本の若手写真家を紹介したいと思っていました。

2年前から、アムステルダムで開催されている若手写真家向けのフォトフェア「UNSEEN」にも参加し始め、現在、「BEYOND」の展示はアムステルダム、東京、パリの世界3都市で開催しています。

町口:「UNSEEN」は一度行きましたが、パリフォトとは客層が全く違いますね。

太田:参加作家もギャラリーも若くて、パリフォトと好対照ですね。「BEYOND」を海外で開催する時は、若い日本人作家を連れていきます。パリフォトやUNSEENを見ると「欧米には、写真家として生計を立てている人たちがこんなにたくさんいる」と励まされ、作家としてのスイッチが入り、意識が変わるんです。また、日本では自分の作品を言語化して説明する機会が少ないのですが、自らプレゼンしなければいけないし、コレクターからのダイレクトな意見も聞けるので、若い作家にとってはとてもいい経験になります。

町口:パリフォトに来る人たちは写真集の見方も日本人と全然違う。とにかく本を触る。匂いをかぐ!「この印刷は何だ?」「製本は?」「紙は何を使っている?」と、どんどん聞いてくる。だから、僕も気持ちよくなって(笑)。それでアウェイのイメージだったパリフォトが、一気にホームになった気がしました。

パリフォトに参加したことで本づくりのモチベーションが上がった

町口:パリフォトに行ったことで僕は「これだけ力を入れて写真集をつくってきたのは、ここに来るためだったんだ」と、ものづくりに対するモチベーションが一気に上がったんです。というのは、当時は国内の出版業が下降気味で、写真集の仕様書を書いても「この紙は使えない」とか、突き返されることが多かった。パリフォトにはデザイナーの弟と一緒に参加したのですが、「よし!10年続けて参加することを目指そう」と話しました。そのくらい刺激的な場所でした。

石田:パリフォトの来場者は写真や写真集のクオリティをきちんとわかる人たちで、無名の作家であっても、評価して作品を買います。そういう当たり前のことが当たり前に行われている場所です。また、2009年に参加したとき、町口さんにデザインしていただいた2万円程度の北野謙の作品集を40~50冊持っていったのですが、造本への評価が高く、ほぼ売りきれました。日本では考えられないことです。

町口:パリフォトではお客さんと会話をすることで、例えば判型が小さい本がいい、カラー写真もニーズがあるなど、デザイナーとしてもたくさんの刺激を受けました。写真集レーベル開始当初、自分がつくったものを自分で売って、お金をもらうことに少し恥ずかしさがあったんですが、パリフォトでそんなことは言ってられない。自分がつくったものを自らの手で自信を持って売るべきだと痛感しました。

石田:2011年にパリフォトの会場がグランパレに移り、雰囲気も客層も劇的に変わりました。会場、ブース共に広くなり、大きい写真を展示するところが増えました。大手の現代美術ギャラリーを誘致して真ん中に配置するなど、きらびやかなフェアに拡大したいというパリフォト運営側の明確な意志を感じました。

その後、ロサンゼルスのパラマウント・ピクチャーズ・スタジオでも「パリフォト・ロサンゼルス」が開催され、展示費用も上がりましたが、それでも僕が参加し続けるのは、パリフォトに行けば世界中のスペシャリストや主要な美術館学芸員との交流が行われ、よい作品を見せれば、必ず反応が返ってくるからです。

町口:僕はパリフォトに行ってなかったら、たぶん今、写真集をつくってなかったとさえ思います。それほどまでに行き詰まり感があった。でも、パリフォトで写真集を真剣に見てくれる人がいると知ったことで、まだ行ける、もっとやれるという手応えを得ることができ、写真集をつくり続けようと決めました。

石田:パリフォトの来場者はマニアだから、販売する私たちに「これはどこが面白いの?」「なんで考えついたの?」と、根掘り葉掘り聞いてくるし、カップルや家族で来て、みんなで作品についてディスカッションし、1枚の作品や写真集を買っていきます。また、個人や美術館のキュレーターと、いろいろなレベルの買い手がいるから、プロの意見ももらえるし、個人からも勝手な意見がもらえる。それらを作家が現場で聞くことができるのは、なにごとにも代え難い経験になります。

町口:続けて出展してきたことで常連も増えているし、僕らの新作を待っていてくれて、確実に手にしてくれる人がいることで、「下手な本はつくれない」という緊張感もあります。

    KATSUYA ISHIDA'S WORKS

    2013年のパリフォトでのMEMブースの展示風景。澤田知子の作品を中心にした特別展示。中央壁面に展示したのは、澤田の組作品「Sign」。

    2009年パリフォトでのMEMブース展示風景。北野謙作品集『溶融する都市』(町口覚デザイン)出版記念サイン会の様子。

    MEMでのアントワン・ダガタ展「corpus」展示風景。

    MEMでの椎原治展、展示風景。

    MEMでの森村泰昌展「私の創世記」展示風景。

アジアの写真マーケットが急成長

大西:今、台湾では日本の写真がとても人気があるんです。パリフォトと違い、出展料が安く、個人の写真家でも参加できる台湾のフェアは、昨年、入場制限かかるほど人が集まり、出展者の3分の1が日本人でした。台湾は物価が安いから出店費用もかからないし、ブース代1万円で作品も本もZINEもポラロイドも出せるところが魅力なのだと思います。

太田:もともと台湾は若い子を中心に日本カルチャーのファンが多いですよね。『IMA』も刊行から3年目ぐらいまでは欧米、とくにヨーロッパからの注文が多かったのですが、今はアジアが増えてきてすごい勢いで伸びています。

大西:私は2013年に日本とアジアの写真集を販売するサイト「shashasha」を立ち上げました。当初、台湾では3000円以上の写真集は売れませんでしたが、ここ1、2年は1万円ぐらいのものも普通に売れるようになりました。なぜ火がついたのかはわかりませんが、この1、2年で台湾が急変しているのを感じます。

町口:ワークショップのために台湾へ行くと、若者の欲望の度合いが日本と違うなと感じます。「ルーペで見ると、この印刷のドット(網点)の差はなんですか?」など、質問のクオリティが違うし、何よりも吸収力がすごい。

大西:一方で、香港や韓国は写真集のマーケットがようやくでき始めた段階なので、まだそんなには売れません。一方、バンコクでは写真集が2万タイトルある書店がオープンし、最近は売れていると聞きます。

町口:shashashaは写真集の制作もしていて、僕も参加しています。

大西:最初は何もわからず、町口さんに聞きながら、少しずつ勉強しました。私はここ2年で52タイトルの写真集を出しましたが、短期間で多くの写真集を出そうと思ったきっかけは、国内の印刷所で難しい印刷技術が継承されているところがすでに2、3社しかないのを知り、このままでは将来制作ができなくなるのではないかと思ったことです。それらの技術が継承されていないことに危機感を覚えました。

町口:本をつくること、出版すること、売ること、というプロセスで見ていくと、今の日本は「つくる」部分で相当厳しい状況にあります。例えば『広辞苑第6版』はコロナという薄い紙を使って、背の部分は全部かがりでつくっている。東京中のかがり屋さんが集まってようやくできたものです。でも、7版が出る頃には、果たしてかがりの技術が残っているか、という⋯。

大西:今のままでは5年経ったら刷れない、つくれなくなる。どうやったら残せるかと考えたことが、町口さんと本をつくりはじめた一番の理由です ...

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