昨年から今年にかけて、設立から10年目を迎えたデザインオフィスやクリエイティブエージェンシーが多く見られます。10年前に独立した人はどんな背景から、どんなことを考えて、自分の場所を築いたのか。そして、この10年の間にどんな変化があったのか。第9回目は、小西利行さんにお話を伺いました。
──10年前に独立した理由は?
僕は博報堂で12年目にクリエイティブディレクターになり、13年半在籍して退職しました。在籍中から、一つのブランドに長くかかわってきました。というのは、一時的に話題になるものをつくっても意味がなく、長期間通用するコミュニケーションをつくることこそ重要と考えていたので。それに加えて、僕はコピーライターとしては情緒的な言葉よりも、「最高金賞のビール。」「京都福寿園のお茶」というように効果のあるコピーこそ重要と考えていました。
当時はコピーライターとしてはどうなの?と言われていたけれど、こうした言葉を長く続けてブランドに蓄積していくことが大事だと考えていたからです。その概念を明確に体系化してくれたのは師匠の小霜和也さんで、「言葉は投資だ。投資に値するものを書け」と言われ続けてきました。その教えもあり、もっとクライアントと直接やり取りをして長期のブランディングをしたり、会社の外に出て、同じような考えを持つ人たちと仕事がしたいと思うようになった。
さらに、コピーライティングの技術を、広告にとどまらず、もっと広い領域に使って世の中をよくしたいとも思っていた。それが独立のきっかけです。
──実際に独立してみてどうでしたか?
最初に手がけた仕事が、埼玉県越谷市にオープンするイオンレイクタウンでした。ショッピングセンター自体のコンセプトづくりに始まり、トータルでクリエイティブディレクションを手がけました。その仕事をしたとき、コピーライターは建築やインテリアなどの空間をはじめ、これまで広告が関与してこなかった領域でも仕事ができることを確信しました。この仕事をきっかけに、広告の仕事と同じぐらい、ブランディングやコンサルティング、都市開発などの案件が増えました ...