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あれから10年

会社の方針は現状維持

昨年から今年にかけて、設立から10年目を迎えたデザインオフィスやクリエイティブエージェンシーが多く見られます。10年前に独立した人はどんな背景から、どんなことを考えて、自分の場所を築いたのか。そして、この10年の間にどんな変化があったのか。第6回目は、渡辺潤平社の渡辺潤平さんにお話をお伺いました。

渡辺潤平社 渡辺潤平(わたなべ・じゅんぺい)
1977年生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂入社。2006年、groundへ参加の後、渡辺潤平社設立。最近の仕事に渋谷PARCO「Last Dance_」、日経電子版「田中電子版」、千葉工業大学「求む、宇宙人。」、関ジャニ∞「完熟新作」、B.LEAGUE 新聞広告シリーズなど。
Photo:Kenichi Shimura/parade/amanagroup for BRAIN

設立当時の渡辺さん

──博報堂からgroundに移籍後、半年で独立しました。

当初はgroundから独立することなど、まったく考えていませんでした。いざ働いてみると、広告会社と違い、小さいエージェンシーゆえに同じチームで同じ仕事をすることが基本。コピーライターとして自分が成長する上で、その環境では仕事の幅を広げていくことが難しいと感じました。それでground代表の高松聡さんに相談して、半年で独立することになったのです。

とはいえ独立を計画していたわけではないし、1年のうちに2回も会社を辞めてしまったので、すぐにもう一度会社に入ることが想像つかなくて……しばらくはできるところまで一人でやって、うまくいかなかったら広告会社を受けてみようと思っていました。

独立したとき、神宮前の雑居ビルに部屋を借りたのですが、広告の仕事はお金が入ってくるのが遅いから、あるとき仕事をしているけれどお金がないという状態になってしまいました。口座の残高が500円を切ってしまい、カード会社の審査にも落ちてしまって…いまだにそのトラウマがあるんです。二度とあんな思いはしたくない、という経験がいまの自分を動かしています。

だから、渡辺潤平社が10年も続いたことは、本当に驚くべきことなんです。そして、おそらく満を持してフリーになったわけじゃないからだと思いますが、何年経っても目の前に仕事があるからやっていられるだけ。仕事がいつまでも順調にあるわけではない、といまでも思い続けています。

──独立当初、どんな目標を掲げましたか。

まずは広告業界に自分の居場所をきちんとつくること。どんな形であれ、コピーを書いて、きちんと生活していけるようにならなくては、と思いました。そして、自分から営業はしないと決めました。「仕事をください」と言ってしまうと、自分じゃなくてもいい仕事が回ってきそうな気がして。グッとこらえて仕事を待ち、その仕事でいい結果を出さなければという気持ちが強かった ...

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