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あれから10年

「たのしく気持ちのよいこと」を目指し、変化を続ける「ゆかい」

池田晶紀(ゆかい)

今回は写真家として活躍する一方、「ゆかい」という場を設け、展覧会の開催や写真集の発行など多様な活動を続ける池田晶紀さんにお話を伺いました。

ゆかい 池田晶紀(いけだ・まさのり)
写真家。1978年横浜生まれ。1999年自ら運営していた「ドラックアウトスタジオ」で発表活動を始める。2003年よりポートレイト・シリーズ『休日の写真館』の制作・発表を始める。2006年写真事務所「ゆかい」設立。

2010年スタジオを馬喰町へ移転。オルタナティブ・スペースを併設し、再び「ドラックアウトスタジオ」の名で運営を開始。国内外で個展・グループ展多数。アーティスト三田村光土里とのアートユニット「池田みどり」としても活動。現在、フィンランドサウナクラブ会員。
Photo:Kenichi Shimura/parade/amanagroup for BRAIN

設立当時の池田さん

目指すのは「楽しく気持ちのよいこと」

――10年前に「ゆかい」を設立したのは?

「ゆかい」の前身は、1999年に国立で、彫刻や絵画、デザイン、イラストレーターなど、学生の作家を中心につくった「ドラックアウトスタジオ」です。いわば共同アトリエのようなもの。オープンスタジオの形で、2004年頃まで続けていたのですが、いつしかフリーで作家を続ける人、就職する人と、参加していた人たちの進路が分かれ始めました。僕は独立して作家活動を続けていこうと考えていたので、代表としてスタジオ名を引き継ぐことに決めました。

スタジオを代々木へ移し、プライベートビューとしての展示を続け、2年後の2006年から「ゆかい」という会社を設立しました。「ゆかい」は、僕が以前やっていたコミックバンドの名前です。「たのしく気持ちのよいこと」「なにをやるにせよ、せっかくだったらユニークな方がいい」が、ゆかいのスローガンとなり、仕事でも写真でもこの気持ちを大事にしたいと思い、これを会社名にしました。

――ゆかいは写真スタジオとも、マネジメントオフィスとも違いますね。

いま社員は僕とマネージャー、イラストレーター、デザイナー。そして写真家4人。設立から現在まで10年間一緒にやってきてくれたのが、当初僕のアシスタントを務めた、ただ(多田浩士)と川瀬一絵の2人です。彼らが30歳になってから、ゆかいがフォトグラファーとしてマネジメントしています。このスタイルは最初から考えていたわけではありません。自分の経験として、東京で写真家として一人で活動するのは、機材費や車、駐車場代など、費用がかかって大変。

そこはみんなで助け合い、複数の写真家が一緒に活動する方がいいだろうと思っていました。それから写真は1人でできるものだけど、グループになったら何ができるかも模索していました。例えば1冊の本の写真を、ゆかいのメンバーみんなで、同じテイストで撮ってみるとか。そういう写真の実験もできるかなと ...

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