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あれから10年

デザイナーとして、日々怠ってはいけないこと

昨年から今年にかけて、設立から10年目を迎えたデザインオフィスやクリエイティブエージェンシーが多く見られます。10年前に独立した人はどんな背景から、どんなことを考えて、自分の場所を築いたのか。そして、この10年の間にどんな変化があったのか。第7回目は、6Dの木住野彰悟さんにお話をお伺いました。

6D 木住野彰悟(きしの・しょうご)
1975年東京都生まれ。1996年廣村デザイン事務所で廣村正彰氏に師事。2007年6D設立。2016年D&AD(ロンドン)グラフィックデザイン部門審査員を、同年より東京工芸大学 准教授(芸術学部 デザイン学科)を務める。
Photo:Kenichi Shimura/parade/amanagroup for BRAIN

設立当時の木住野さん

──10年前に独立した理由は?

僕が働いていた廣村正彰さん率いる廣村デザイン事務所は、基本的にデザイナーは全員独立するという方針で、「30歳くらいになったら独立する」という流れがありました。僕は専門学校を卒業後、20歳で入社し、10年半働いて31歳で独立しました。

──入社したときから「将来は独立する」ということを考える環境だったんですね。

そうです。時々「独立するべきか、悩んでいる」という相談をデザイナーから受けることがありますが、僕には独立以外の選択肢がありませんでした。ただ、デザイナーは絶対に独立するべきとは思ってはいなくて、むしろ相談されたら「独立しないほうがいい」と言っています。会社によっては社員として活躍することはできるし、独立には向き・不向きがあるからです。

独立すると、デザインをしていればいいわけではなく、自分の存在を営業活動に繋げなければ続けていくことはできません。ライバルが多数いるなかで、「あの人にもう一度頼もう」となるためには人との繋がりなど、デザイン以外の要素が求められます。

──木住野さんは自分自身を分析すると、独立には向いていたと思いますか?

向いていたと思います。僕はデザインに対してドライな部分もあって、クリエイティブの度合いが少ないカタログ制作のような作業も嫌いではありません。業界に対して「これは自分がやった」と言えるような仕事ばかりでなくてもいいと思っています。とはいえ、この10年間、デザインの腕を上げることは意識してきました。歳を重ね、社員が増えると、机に向かう時間が減るものですが、僕は今もできる限り自分の手を動かしてデザインするようにしています。

──独立して立ち上げた当初、6Dは二人でスタートしましたね。

インテリアデザイナーの大坪輝史さんと立ち上げ、1年半ほど一緒にやりました。その後、人が増えて手狭になったこともあり分かれましたが、今もお互いに6Dという社名で続けています。

──独立当初は前職の廣村デザイン事務所のやり方を参考にしましたか?

はい、僕は他のデザイン事務所を知らなかったので ...

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