広告を読めば、なんかいろいろ見えてくる。例えば「若者と社会」のこと。
西武セゾングループ(1987年)コピーライター 糸井重里
就職活動の厳しさを生まれて初めて体験した。もちろん自分のことではない。ゼミの大学生を通してである。厚生労働、文部科学両省の2014年11月14日の発表によると、2015年春卒業予定の大学生の就職内定率(2014年10月1日時点)は68.4%で前年同期比4.1ポイント上昇、4年連続の改善だそうだ(国公私立62校対象)。しかし改善という文字が踊ろうが、就活数カ月を経ても30%以上の前途未定が残され、しかも68.4%は全体でのもので、最も低かった中国、四国地方では56.9%という内定率に止まっている(またその内定も、意中の企業のものとは限らない)。30%、40%を超える不安な学生は言うまでもなく、ようやくとりあえずの安息の地にたどり着いた者たちも、疲れ果てていることをぼくは知っている(傷だらけで遡上する鮭を思う)。
厚労省、文科省の発表にも「改善」の要因として「企業の業績回復、人手不足による採用意欲の回復」が挙げられているように、学生の就職は受け入れ側の事情に支配される。景気の風向きによっては「売り手市場」と称される年もあるが、選ばれる⇄選ぶ、志願⇄受諾という構造上、受け入れ側の事情によくも悪くも左右されることは原理・原則的に変わりにくい。受け入れ側とは具体的には主に企業であるが、拡張すれば社会であるとも言える。つまり就職とは、学生と総称される若者を社会がどのように受け入れるのかということである。就職という事象、それに関わる広告を通して、その「若者と社会」を考えてみた。性格のよくない社会の有様が見えた。
「お祈りメール」というものがある。広く周知されている用語だが、就職面接の結果をメールで通知する折に、「拝啓 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます」から始まり、結果を伝え、「X様の今後のご健康とご活躍を心よりお祈り申し上げます」で締める「不採用通知メール」である。それが就活生の間で「お祈りメール」というアンハッピーな言葉で共有され ...