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ある広報人の告白

社会常識や空気を踏まえ、意見を言えるのは広報しかいない

日産自動車 濱口貞行

様々な領域で活躍中の広報パーソンに、転機となったエピソードや仕事における信条、若手へのメッセージなどを伺います。

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日産自動車 グローバルコミュニケーション本部国内広報部 部長
濱口貞行(はまぐち・さだゆき)

1980年日産自動車入社。人事部を経て、90年から広報部。2010年から現職。26年にわたり、企業広報と商品広報担当としてメディア対応に携わる。スポーツが大好きで、小学4年から大学卒業までは一貫して野球に取り組む。社会人になってからはもっぱらゴルフ。主義・信条は「特にありませんが、『なるようにしかならん』かな」。2014年、「企業広報賞」(経済広報センター主催)企業広報功労・奨励賞受賞。

ルノーとのアライアンスのもと、グローバル経営を進める日産自動車の広報は提携前とどう変わったのか。25年以上広報として同社を支えてきた濱口貞行氏に、組織の変遷や広報としての信条について伺いました。

最後は自分だけが頼り

──濱口さんはご自身の広報スタイルをどのように築いていきましたか。

入社後、人事の仕事を10年経験したのち、社内公募に応募して広報部に異動しました。当初は上司や先輩の動きをよく見て、良いと思うことは真似をして、見習いたくないことはしないよう心がけました。広報の仕事は、教科書や法則があるわけではなく、外に出たら“一匹狼”です。記者など大勢の人を相手に、会社の看板を背負って応対しなければならないこともある。失敗と成功を繰り返して得た経験と、自分なりの判断軸だけが頼りなのです。

大切なのは、自分のやり方を見つけること。メディアとのネットワークづくりひとつとっても、記者の名刺をたくさん集めればいいわけではないですよね。その後の接触の仕方、関わり方次第であり、人それぞれのやり方があるはずです。

──では、濱口流の関係構築方法とは?

僕は現役の自動車産業の担当記者だけでなく、記者が担当を離れた後も意識的に会うようにしてきました。車の話をするわけでもなく、記事になるわけでもなく、遊んでるようにも見えていたはず。でも時間が経つにつれ、構築したネットワークが年輪のように広がって今の自分があります。

仕事を超えたメディアの人との関係が、のちに仕事にも生きてきました。もちろん、ネガティブな記事を止められたりはしませんよ。でも助けられたことは何度もありますし、広報に携わる上での安心感にもつながっています。そうした実感を持てるまで15年ぐらいはかかりましたね。

ただ、メディアとは一定の距離感を保つように心がけています。すぐ頭を下げる広報マンも多いですが、それは駄目です。反論すべき時は反論しますし、口論になることもあります。会見の後、記者を捕まえて「さっきの聞き方はなんだ」と問いただすこともあります。広報とメディアは …

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