危機が発生したとき、その後の広報対応によって世の中に与える印象は大きく変わる。
本連載では、ある時はメディアの立場で多くの危機を取材し、またある時は激動の時代の内閣広報室で危機対応を行った経験を持つ下村健一氏が、実際にあった危機の広報対応について説く。
参院選でも惨敗の民主党。
「We」と言えない政権広報で、結局スタンスの違いを明確化できなかった。
参院選が終わった。大惨敗の民主党は、これで衆参両院で完全に主導権を失い、あの政権交代の熱い8月から4年で、1つの短い時代が幕を閉じた。
私は、このうちの半分の2年間を、内閣広報室勤務という内側の目線から、そして他の2年を、民間人として外側の目線から見てきた。そんな立ち位置から、民主党政権の広報が新味を出せなかった敗因を煎じ詰めていくと、浮かび上がって来るキーワードがある。──《WeかYouか》。
響いた 第1ボタンの掛け違え
民主党政権の、事実上の最初の広報は、2009年8月30日の深夜に発せられた。総選挙の開票で、政権交代の大勢が判明したばかり。そんな熱気の中で発表された鳩山代表の談話「国民のさらなる勝利に向けて」の全文を読んで、当時まだ外側の人間(報道番組の取材キャスター)だった私は、違和感を抱いた。国民を指す言葉として、「国民の皆さん」という言い回しが、9回も登場するのだ。「"私たち"国民」ではなく、「国民の"皆さん"」。
民主主義社会での政権交代ってのは、国民感覚から離れちゃった政権を《私たち》の側に取り戻すことでしょ? なぜそれが達成された瞬間に、《私たち》(we)の新リーダーから《皆さん》(you)だなんて、他者呼ばわりされるの? これじゃ、今までの政権の言い方・考え方そのままじゃないか!
──実は、これと似た違和感を、私は約40年前の中学生時代にも一度覚えていた。地元の街に新しく開店した銀行で、華やかな広告ポスターとは別に、地味な縦書きで掲示されていた住民向けの開店挨拶文。その文中に、「皆さまの街・町田で...」といった表現が数回あったのだ。どうして「私たちの街・町田で」じゃないんだろう? この銀行の人達は、開店準備中にこの街に溶け込めなかったのかなぁ? ...少年の心をそんな風に冷めさせてしまうようでは、あの広報は失敗作だったんだろうな、と今でも思うのだ。
ちなみに、この鳩山談話の7カ月前、オバマ米国大統領誕生時の就任演説では、国民を指す言葉として《私たち》(we)が約60回も登場していた。英語と日本語の特性の違いだけでは片づけられない差異だ。
歴史的な政権交代という高揚感の中で、新リーダーから《私たち》(we)と言われれば、国民は「今から私たちの政府を育てていくんだ」という当事者意識のスイッチがオンになる。だがここで旧態依然たる《皆さん》(you)を連発されれば、「今からはこの政府に文句を言っていくんだ」というお客さん意識のスイッチが入ってしまう。この第1ボタンの掛け違えは、大きい。