2016年 カンヌ 日本の受賞は全部で49作品
パナソニック「Life is electric」をはじめ、デザイン部門は相変わらず強い日本。しかし、他の部門が厳しい結果となった。カモ井加工紙「MT」と資生堂「HIGH SCHOOL GIRL?メーク女子高生のヒミツ」はこれまでに数多く国際広告賞を数多く受賞しているが、今回も2部門以上で受賞。オーストラリア政府観光局「GIGA selfie」も3部門での受賞となった。
2016年のカンヌライオンズで大きな注目を集めたアンダーアーマーとドロガ5によるセミナー。アンダーアーマーというブランドの成長の背景には、両社トップの深い信頼関係があった。
アンダーアーマー創業者であり、CEOであるケビン・プランク(左)とドロガ5 創業者でクリエイティブ・チェアマンのデビッド・ドロガ(右)。
プランク:昔から、「交渉の席についたときから取引に勝とうとしているようでは、あなたは既に負けている」と言われます。つまり勝つための関係づくりには、長い時間がかかるのです。実は私たちは2014年に初めてキャンペーンを実施するまで、公式には一緒に仕事をしていませんでした。最初の4~5年はただただ関係を築くためだけに費やしていました。デビッドに会っても、背中合わせに座っているだけだったんです。
最初のプロジェクトは、ミスティ・コープランドというバレリーナが登場した「IWILL WHAT I WANT」。彼女は貧しい環境で生まれ育ち、バレエを始めるのが遅く、体形もバレエダンサーというより運動選手のよう。でも、それらを克服して、アメリカンバレエシアターのソリストとして成功しました。そのストーリーにアンダーアーマーのイメージとナレーションを重ね、逆境や伝統を打ち破る表現を制作しました。これは、女性向けスポーツブランドとして何をやるべきかと考えた結果です。
ドロガ:資金調達に苦心していたアンダーアーマーがどんどん成長していく様子は、一緒に仕事をする私たちの希望の光で、いつも圧倒されていました。そもそも自分たちのことはもちろん、自分たちのミッションを理解している人と仕事をしたくない人がいるでしょうか。このブランドと似たような会社はあるかもしれないけれど、当時からこの会社には抜きんでた個性がありました。ただ、ケビンが言うように、私たちはただ背中合わせで座っていただけ。連絡を取りあってはいたものの、一緒に仕事をする機会はありませんでした。
当時、私たちはPUMAと仕事をすることになりました。しかも面白いことに、私たちはPUMAのグローバルエージェンシーとなったのです。ですが、アンダーアーマーと仕事をするチャンスが巡ってきたとき、私はPUMAではなく、その小さなチャンスにかけようと思いました。アンダーアーマーと一緒に、私たちが何かを作り出すことができるということを世の中に示し、そしてさらにもっといろいろなことに挑戦する機会を得たい。これこそが私が一番大切にしていることです。ブランドを選び、人を選び、ミッションを選び、オーダーを選ぶことで、自分たちの権利が育っていきます。このアンダーアーマーという会社を一緒に育てていきたい。それこそが、私たちの会社を育てることにもつながると考えました。
プランク:私たちは自分たちが何者なのかを理解していますし、そのことには自信を持っています。そしてデビットと私のパートナーシップもしっかりと確立しています。
ドロガ:こうして始められたのは、既に人間関係ができていたからです。そしてアンダーアーマーが大きくなってきたとき、ケビンは私に「アメリカンフットボールの世界をハイジャックできればカンヌのチタニウム部門で受賞できる」と言ったんです。
プランク:アスリートのインタビューは大抵ロッカールームで撮られています。ロッカールームで選手たちは裸なので、カメラはできる限り高い位置を映すようにしなければなりません。ですからロゴは高い位置になければならないのです。ここで言いたいのは、会社が大きくなるにつれて、そういうディテールについてを指摘してくれるエキスパートを見つけるのが難しくなります。パートナーは将来の見通しを広げ、世界への視野を広げ、さらに私たちに対する世界からの見え方を広げてくれてくれる存在でなければなりません。私がデビッドによって得たものはもうひとつあります。2013年頃、私は編集室に何時間も座り、CM用のセットの中で寝ていました。デビッドのおかげで ...