独特のハイパーな語り口や、先進的な未来の捉え方、明快なビジョンで注目を集めているメディアアーティストの落合陽一さん。近著『魔法の世紀』では、現在の「映像の世紀」から、やがてメディア環境そのものに人間の生活や社会が溶け込んだ「魔法の世紀」に移行すると論じている。電通の菅野薫さんが聞き手となり、落合さんが考える「魔法の世紀」をひもとく。
プラズマの妖精が空中を飛ぶ?「魔法の世紀」はすぐそこに
菅野 今日は著書『魔法の世紀』にも触れながら、落合さんとその仕事をひもといていきます。
落合 メディアアーティストという肩書きになっていますが、最近ハマっているのはプラズマ物理です。液体でも固体でも気体でもない、高エネルギー体の発光物体を光で作ることに興味があります。これは、妖精のイメージを超低エネルギーのプラズマで物理的な物質として作ったものです。触っても比較的安全だし、触ったら反応するようにプログラムしています。
菅野 触るとどんな感触なんですか?
落合 ザラッとしています。それか、パチッとする。紙やすりのような静電気と思っていただけたら。こういう物質だか映像だかよくわからないものを作りながら、「映像と物質の境界を超える」というテーマに取り組んでいます。映像はここ100年くらいの世界の考え方の基本原則を作ったと僕は考えています。光学技術の発展と共に、我々は色々なメディア装置を手に入れてきました。しかし、その発明自体が芸術と言われることはあまりなかった。
菅野 メディアを発明することと、メディア上で表現を発明すること(クリエイティブ)が切り離されて評価されてきたということですね。
落合 はい。昔はメディアができてもコンテンツとして消費されるまで十数年かかっていましたが、今はメディアとコンテンツを作ることがほぼ同じ速度になってきた。それなら、メディアを作り続けることが“発明文化”であるだけでなく、“芸術文化”として捉えられるのではないか? それが、僕がメディアアートに感じていることです。僕が挑戦しているのは、「コンテンツがない芸術は存在しうるか?」という問いです。アート業界の人には「コンテンツがないと批評性がない、だからアートとは言えない」と、ずっと言われてきましたが、今後“発明行為そのものが芸術だ”という一派が存在していっておかしくないはずなんです。
菅野 アート界隈では、大いに議論を呼びそうなテーマですね。
落合 実際、ものすごく議論になりました。ただし、アルスエレクトロニカのような場所では評価されています。実は2000年代からこの議論はずっと続いていて …