世界を舞台に活躍するピアニストの上原ひろみ氏はライブでの即興演奏は「一期一会」と話す。ジャズの巨匠と出会って感じた音楽の語彙の多さや、コロナ禍で模索した音楽の届け方など。上原氏が考えるコミュニケーションについて聞いた。
きっかけはCM楽曲制作の仕事作編曲を学ぶため、渡米を決意
2003年にファーストアルバム『Another Mind』で彗星のごとく現れ、全米デビューした上原ひろみ氏。これまでにライブ収録や映画のサウンドトラックも含めて18枚のアルバムをリリース。それとともに、日本レコード大賞やグラミー賞などの国内外の権威ある音楽アワードで数々の賞を受賞したほか、ビルボードなどの音楽チャートでも上位ヒットを記録するなど、日本人ジャズミュージシャンとして世界から認められ、精力的に活動を続けている。
そんな上原氏が初めてピアノに触れたのは6歳の頃。地元・静岡県浜松市で音楽の魅力を全身で表現するという熱量の高いピアノ教室の先生に影響を受け、次第に音楽の世界に魅了されていったという。様々なジャンルのレコードを先生から聴かせてもらっていたという上原氏が最も興味をひかれたのがジャズだった。
「オスカー・ピーターソンとエロール・ガーナーをよく聴いていました。クラシックにはないワクワクするリズム感がとても楽しくて。楽譜のない即興演奏にも新鮮さを感じました」。
12歳の時に日本と台湾の合同で開催された子ども向けのコンサートに参加した上原氏。言葉が通じなくても音楽でつながれた経験から、今後もずっとピアノを弾いていきたいという漠然とした思いが芽生えた。高校を卒業して一般の大学に入学したが、在学中に音楽制作会社に所属して、テレビCMの楽曲を制作していた上原氏は、その仕事で作編曲を学びたいという思いに強くかられ、渡米を決意。大学を中退してボストンにある音楽校の名門バークリー音楽院に入学した。
当時はほとんど英語が話せなかったという上原氏。しかしコミュニケーションで苦労を感じたことはなかったと話す。「お互いが発する音楽に共感して仲良くなり、それから言葉を交わすようになり、英語を教えてもらって、という順序で友達を増やしていきました」。感性豊かな音楽家の卵たちが集う環境で、音楽を共通言語に、互いに切磋琢磨しながら腕に磨きをかけていった。
そして卒業の約半年ほど前、ついにメジャーデビューを果たすチャンスが訪れる。期末試験でオリジナル曲を提出すると、著名なジャズピアニスト、アーマッド・ジャマル氏がその曲を聴き、レコード会社を紹介してくれて、契約にこぎつけた。
「アメリカでプロとして活動したいと思っていたので、デビューが決まった時にはやっとスタート地点に立てたとうれしい気持ちでいっぱいでした。稼げなければ日本に帰るしかなかったので、焦りからも解放されました」。
表現する場が変わっても貫いた思いのままに伝えること
上原氏が影響を受けたミュージシャンの一人に、ジャズ界の大御所チック・コリア氏がいる。2008年に発売したアルバム『Duet』で共演しているのだが、実はこれが初めてではない。上原氏が17歳の時に、すでに一度共演を果たしている。それは偶然と奇跡が重なったような出会いだった。ある日レッスンを受けていた場所で、コリア氏がリハーサルをしていることを...