ACジャパンの全国キャンペーン「寛容ラップ」のCMで一躍話題となったラッパーの呂布カルマ氏。ラッパー界でも唯一無二の存在感を放ち、強烈なリリック(パンチライン)を武器とする。「コピーライティングとラップはどこか似ている」と語る同氏に言葉が持つ奥深さやおもしろさ、またCM起用で感じた広告の影響力について聞いた。
下積みの実感はない 好きを突き詰めた先にあったもの
オールバックに柄シャツ。その見た目だけでなくラップの実力でも存在感を放ち、数々のフリースタイルラップの大会で表彰台に立ってきた。生まれは兵庫県、小学校時代は大阪府で過ごし、中学生の時に現在も拠点とする愛知県名古屋市に移り住んだ。数々のメディア出演などで多忙を極める呂布カルマ氏だが、あくまで拠点は名古屋で、東京での仕事のたびに都内のホテルを転々とする生活を送っているという。
全国区の注目を集めるようになったのは、ここ数年のことだが、本拠地名古屋では早くからその名が知られていた。
そんな呂布氏に、これまでの歩みを尋ねると、意外にも大学時代までは漫画家を目指し活動していたという。漫画家に憧れ始めたのは小学3年生のころ。「当時は『週刊少年ジャンプ』黄金期。周りを見ても、誰もが夢中になって漫画を読み漁っていました。自分もその一人でした」(呂布氏)。昔から絵を描くことが好きで「特に筋肉を描写している漫画が好きで、自分でも4コマ漫画を描いていました」と振り返る。
夢を実現させるために名古屋芸術大学美術学部へ進学したが、ときを同じくしてラップにも没頭し始める。
「高校生のころにDragon Ashなどが注目され、日本でもラップが流行し始めたのをきっかけに、いろいろな曲を聞き始めました。大学在学中に歌詞を書き始めて、卒業後も漫画を描く傍ら、ラップをつくるといった生活をしていたら、いつの間にかそっち(ラップ)の方が楽しくなっていて」と笑う。持ち前の行動力を発揮し、自ら連絡をして名古屋のクラブのステージにも立った。学習塾の教室長など、フリーターとして働き、名古屋を中心に全国のクラブでラッパーとして活動してきた。
現在、40歳を迎えた呂布氏だがラッパーとして生計を立てられるようになったのは32~33歳になってからだったという。苦労が多かったのではないかと尋ねると「下積みの実感はないですね。自分の好きを突き詰めた生き方ができていたので、当時の生活も気にいっていました」と話す。
一小節で伝えきる キャッチコピーとラップの共通点
独特なスタイルと切れ味の強いパンチラインで一躍注目を集める呂布氏。その歌詞や言葉はどこから生まれてくるのか。呂布氏のお気に入りのパンチラインは参加楽曲『BACKBONE』の一節だという。
「♪骨がへし折れ肉を...