「がんばる母さんやめました」自分らしさを探る「卒母」の考え方
『卒母のためにやってみた50のこと』(大和書房)という本に出会い、ページを繰り出したら止まらない。手書きの文字とイラストで構成されているたたずまいもユニーク――著者でありグラフィックデザイナーの田中千絵さんに話を聞いた。
デザインプロジェクトの現在
ユナイテッドアローズでクリエイティブディレクションを担っている栗野宏文さんが『モード後の世界』(扶桑社)を上梓した。「着ることは生きることだから」という前書きの言葉に惹き込まれ、久しぶりにファッションにまつわる話を聞きに行った。
『モード後の世界』(扶桑社)栗野宏文さん著。
コロナ下で、ファッション業界が何かと注目されている。気になっているのは「ファッションの役割は終わった」「服を買うことに意味がなくなった」など、極端にネガティブな声を耳にすること。確かにファッション業界は、短いサイクルで服をつくり、セールで値下げし、残ったものを廃棄する。時代はとっくに違う方向に向かっているのに、それを続けてきた、否、過剰化させてきた一面はあるし、業界に籍を置く身として責を感じてもきた。
一方で、「ファッションの役割は終わった」とは思えない。では、これからの時代における服の役割は?と自分に問うてみるのだが、浅知恵ばかりで答えが見つからない。そんな折に『モード後の世界』を手に取って、長年にわたり業界に身を置きながら、広い視野で物事をとらえてきた栗野さんの視点から多くのヒントをもらえた。
だから最初の質問もまずはそこから。栗野さんは「服とは身に着けることで、見る、見られる関係が生まれる自己表現の一環にあるもの」ときっぱり。歴史の中で服は、実にさまざまな役割を果たしてきた。寒暖の調節や身を護ることはもちろん、権威、役割、装飾など──ただ、その底流をなしているのは“自己表現”のひとつであること。「セカンドスキンともいえるポジションで、ソーシャルな役割を担っているのは、服の特徴のひとつ」という言葉が腑に落ちた。
その意味では、まったく関心がないということも含め、現在においても服が自己表現になっている事実は変わらない。社会性を持った存在であり続けるのだ。だからこそ今、服の社会性を見直すことは大事かもしれない。
一方で栗野さんは「おしゃれすることは、自己探求、自己認識、そして自己表現であり、まさに自己肯定につながる」とも。流行の先端を身に着けることでなく、身だしなみを整え、会う人に思いを馳せ、自分で選んで身に着ける──一連の行為を日々、大事にすることは、心地の良さや暮らしの豊かさに連なっていくと思い及んだ。
栗野さんが続けてきたクリエイティブディレクションとは、時代の潮流をさまざまな視点から読み取り、未来に向けた方向性を指し示すこと。それを土台に、ユナイテッドアローズは、モノづくりや...