時代が変わっても変わらないコピーの本質や作法はどこにあるのか。第三回目は、安藤隆さんに古橋亮羽さんが話を聞きました。
タノシイ マイニチ ニコニコ ワイン
(サントリー/レゼルブ/1982年)
ウーロン茶はサントリーのこと
(サントリー/サントリーウーロン茶/1984年)
村田製作所はなにをセイサクしているんだろう
(村田製作所/企業/1991年)
ユーはいいなあ
(サントリー/サントリーウーロン茶/1994年)
初めて自分とコピーが繋がったとき
古橋:僕は異業種から転職して、コピーライターになりました。それゆえ同年代のコピーライターに比べて経験がない、という焦りとともにキャリアを重ねてきました。ですので以前、安藤さんが「仲畑さんがうまいコピーを書くから、僕は違う路線でいこうといつからか思っていた」とおっしゃっていたのが印象に残っています。
安藤:僕はきちんとコピーの勉強をしたことがなく、コピーライターが何をする仕事かも知らずにスタートしたので、その場しのぎの連続で、それが広告らしい正当派なコピーをいまもなかなか書くことができない現状にまでつながっていると思っています。入社した当時サン・アドには、まだ若手だった仲畑貴志さんがいました。上手いし、とにかく途方もない勢いを感じるコピーで、コンプレックスどころではない差がありました。
古橋:いまのようなスタイルになったのはいつからですか。
安藤:そんな僕に転機をもたらしてくれたのは、アートディレクターの副田高行さんです。当時、「ヘタウマ」な絵を通じて、下手風が評価されはじめたころで、副田さんも「ヘタウマなデザインをめざす」と宣言していたんです。で、僕も「ウマ」はともかく「ヘタ」はできるかもしれないと、新たな方向を意識するようになりました
古橋:サントリーのワイン「レゼルブ」の広告は、安藤さんと副田さんの仕事ですね。
安藤:そうです。レゼルブの仕事は僕にとって大きな転機となった1つです。「タノシイマイニチ、ニコニコワイン」というコピーでした。片仮名はニコニコだけだったのですが、副田さんが全部片仮名に変えました。パターンっぽくて嫌だったけど、パターンに身を任せてみたら楽になったというか、ヘタウマってこういうことかなと思うようになりました。
古橋:これはボディコピーも印象的ですね。
安藤:キャッチがようやく決まって、副田さんと喫茶店でホッとしたときには、新聞広告の締切が翌日に迫っていました。すぐボディコピーを書いてくれと言われたのですが「タノシイマイニチ、ニコニコワイン」じゃ、なに書いていいかわかりません。そのときにドラマ「北の国から」のナレーションが長いモノローグだったことを思い出して、ボディコピーを、点だけでつないで長いワンセンテンスにすることを思いつきました ...