幼い頃、生物学のミクロな世界に関心を抱いていた一人の少女は、10年後には世界を視座に建築家を目指していた。2020年に開催されるドバイ国際博覧会の日本館を設計するなど、今最も注目が集まる建築家・永山祐子氏に、発想の原点や広告と建築の共通点などを聞いた。
きっかけは友人との会話 大転換し、建築家を目指す
有名ブランドの店舗設計から商業施設、美術館、旅館、個人邸宅まで。固定概念にとらわれない素材選定やコンセプトを包含する、建築家の永山祐子氏が手掛ける建築物は大きな注目を集めてきた。
特に今、注目をされているのが2020年10月からスタートするドバイ国際博覧会の日本館の案件。公募により見事設計者に選定された。そのほか、群馬県の老舗木造湯宿建築「積善館」のリニューアル工事、2022年新宿・歌舞伎町TOKYU MILANO跡地の超高層ビルのファサードデザインなどが現在進行中だという。
新進気鋭の建築家として注目される永山氏だが、建築家を目指そうと思ったきっかけは、何なのだろうか。
「父が生物物理の研究者をしていたこともあって、高校に入学したころには生物学のミクロな世界に憧れを抱き、バイオテクノロジーを専攻してみたいと考えていました。そんな私が建築に興味が向くきっかけとなったのは、ある日の友人と卒業後の進路についての些細な会話。その子は、『建築家を目指したい』と話していました。それを聞いた私は、ヒューマンスケール(等身大)な世界って面白そうだな、とピンと直感。急転換して建築士の資格をとれる学校を探しました」。
聞くところによると、永山氏の祖父は建築家で、建築にまつわる本や道具が家にあったのだという。「幼い頃に家の建て替えで毎週末モデルハウスを見て回り、どんな家に暮らすのだろうと想像することが楽しくて仕方ありませんでした。そういった様々な記憶が上書きされて身近な職業という気がしたのだと思います」と永山氏は話す。
大学を卒業した永山氏は、組織で動く大手建築会社ではなく、アトリエ系の建築事務所を志望。しかし学生時代は建築一筋というわけでもなかったと当時を振り返る …