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私の広告観

メイクアップアーティスト・RUMIKOが語るブランドの育て方

RUMIKO

世界的メイクアップアーティストとして、ニューヨークを拠点に「VOGUE」をはじめとした一流ファッション誌の表紙や有名ブランドの広告を手掛けてきたRUMIKOさん。1997年には自身の名前を冠したコスメブランド「RMK」を発表した。クリエイティブディレクターとして15年もの間ブランドをけん引し、2013年に契約が終了。現在も幅広く活動を続けている。彼女の語る広告・ブランドとは。

RUMIKO
1980年 ニューヨークに拠点を移しメイクアップアーティストとして活動開始。AMERICAN VOGUEにてデビューし、世界各国の雑誌・広告等で世界のメゾン、トップモデル、ファッションフォトグラファーからの絶大な支持を受け幅広く活躍。一流ファッション誌の表紙や有名ブランドの広告を手掛け、複数の有名ハリウッド女優に専属メークを頼まれるまで成功。1997年 オリジナルブランドコスメティックス「RMK」を発表。以降15年に渡り同社にてクリエイティブディレクターを務め、2013年7月契約終了。2014年、Office Rumikoを設立。メイクアップアーティストとしての活動を広げ、講演、教育、イベント、広告等幅広く活躍中。

メイクの世界に憧れて20歳で単身ニューヨークへ

世界各国の雑誌・広告等で世界のトップモデル、ファッションフォトグラファーからの絶大な支持を受け幅広く活躍してきたRUMIKOさん。弱冠20歳で単身渡米し、ニューヨークを拠点に、世界の有名ファション誌やテレビCMでトップモデル、ハリウッド女優のメイクを数多くするなど成功を収め、現在はメイクアップアーティストとして現役を貫きながら、講演やメイクアップセミナーへの出演と、活動の幅を広げている。

RUMIKOさんが、メイクアップアーティストを志すようになったのは中学生の時。母親とたまたま入った銀座の書店で、ファッション誌「ELLE France」を手にし、そこに掲載されていた英国人モデル・ツイッギーのメイクに強い衝撃を受けたことがきっかけだ。それ以降、母親の化粧品を借りては、実験的に家で自分の顔でメイクをしたり、世界のファッション誌を積極的に見るようになっていった。

「幼い頃から物をつくるのが好きで、クリエイティブなことに興味を持っていました。そして中学生の時、雑誌に載っている美しいモデルの姿を見て、人を綺麗にしてあげられるような職業があるなら進んでみたいと憧れるように。当時はメイクアップアーティストという職業は確立されておらず、ヘアとメイクは一緒で、しかもメイクはモデルが自分で施すのが一般的で、かつ、日本ではメイクを実践で学ぶ場所がありませんでした。そんな中、高校を卒業後には日本の美容学校に入学し、美容師の資格を取得したのですが、やはり本格的にメイクを学びたい気持ちが強かった。それで渡米を決意したのです」。

RUMIKOさんは、1980年に単身でニューヨーク・マンハッタンの街に渡る。日本では類をみない、メイクアップアーティストという職業を目指すことに対し …

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