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生活者行動パターン分析

夫婦単位では行動しない?シニア世代の生活動線を捉える

辻中俊樹

年齢、性別問わず、全ての生活者には必ず「生活動線」がある。生活とは時間と空間が織りなす一つの線の上を、動いたり止まったり、時にしゃべったり、沈黙したりすることの連鎖...つまりは24時間×365日の暮らし方、活動の仕方の流れといえる。100人が100通りの「生活動線」を持っているように思えるが、分析していくと実はいくつかのパターンがあることが見えてきた。世代・時代・ライフステージなどによって構造化しうるパターンだ。このパターンが分かれば、「例外」も見えてくる。本連載では全6回にわたり、代表的な「生活動線」のパターンを解説していく。

シニア世代

前回、本連載の中で現代社会の中で、生活動線が最も自由で幅広いセグメントのことこそ、シニア世代と呼ぶべきではないかと述べた。

自由であるというのは、通勤や通学といった義務的な生活動線から、すっかり解放されているということだ。子育てに関わる送迎、日常的な買い物といった生活動線を多く持たざるを得ない主婦たちも義務的動線が多かったといえる。

選択的に生活動線を設計

その点でいえば選択的な生活動線の設計が日常的にできるのがシニア世代である。外出行動はその典型といえる。まず第一に、外出をしてもしなくてもいいという前提がある。近隣の散歩から、都会にある様々な文化施設を訪ね歩くこと、ボランティアや様々な社会行為に参加することすべてが自発的意思によるものだ。

スポーツに対する積極的な取り組みもそうだ。シニア男性の生活動線の調査をした時に、1週間のスケジュールの中にテニス、ボーリング大会、地域のスポーツ施設でのバレーボールなどというように、若者たちよりもはるかにスポーツに出かけているのには正直驚いた。棺桶に足を突っ込むのは、いつのことやらと笑ってしまうくらい元気なのだ。

その意味で外出行動は自由で、かつ幅広いのである。さらに、その外出動線は頻度は年に一回くらいかもしれないがイタリア・フィレンツェの石畳までも十分に射程距離に入るのである。海外旅行に関しては積極派と消極派にくっきり分割されてしまうが、国内での外出動線は積極的だといっていい。

加えて義務的生活時間から解放されているという点でみれば、繁忙期を外して行動できるということで体験品質も高い。たとえば、イタリアなどヨーロッパでいえば、ベストシーズンは5月末から7月である。この一番いい時期に外出動線をフルに伸ばすことができるのだ。

夫婦単位では行動しない

これらの外出動線の主人公が夫婦揃ってではないのも特徴だ。旅行などの場合には夫婦という単位での行動も当然あるのだが、それでも別々の方が多いという見方をしておいた方が現実からは離れていかないと思える。ましてや、日常的に繰り返されている近隣を中心にした外出動線はそれぞれが別の動線を持っているといえる。

その外出行動の目的の本質が、特にリタイア男性にとってみれば、家の中に動線が固定化されることからの避難行為であることからも、はっきりしていることだ。四六時中、家にいることがパートナーである妻の生活動線を縛ってしまうことからの積極的避難であるという意識が重要なのである。

地域社会におけるボランティアに関わるリタイア男性は相当数いるわけだが、そんな男性たちにじっくりインタビューしてみたことがある。社会に貢献したい、経済的利得よりも何かに役に立つことができればという、まず積極的正論が前面に出てくる。だが、本当の所はマイホームからの避難場所探しの価値が底に流れているというのが納得できるところだった。社会貢献と避難場所探しの価値が車の両輪になっているということだ。

過去の日常が非日常になる

このようにシニア世代の外出動線は自由に幅広く形成されていることがわかるが、基本的に夫婦、家族の軸からみれば、“シングル”化、“おひとり様”化していることが基本だ。もちろん、そのシングルの向こう側に別の複数シーンが多く存在しているのも事実だ。ただし、基本は一人での生活動線、生活シーンが重要な価値を生活に提供していることが重要なインサイトなのである。

私たちは「孤独」とか「一人の淋しさ」といった概念や心理を、根底から考え直すべき時期に来ている。そこが不明確であると、シニア世代はまず把握することができないといっていい。

もちろん、スポーツを一緒にする仲間、ボランティアの仲間、カフェ友達、飲み仲間との生活シーンの共有は楽しいことであることは自明だ。また、家を出ていった子供や孫たちが集まってくることの楽しさ、そして昔のように食事をする楽しさ。これらの価値が欠落していったわけではなく、むしろ重要性は増しているといえる。それはある意味、非日常であることが生みだす価値といえる。

エンプティネスト(子供が独立した空っぽの巣)になったシニア夫婦世帯においては、過去の日常が非日常に、非日常が日常へと逆転していったといえる。

子育てが生活時間と意識の中心を占めていた標準世帯の時代には、家庭内食を作って食べることの意味は「子供」のためにということに尽きるといっていい。とりわけ主婦(作り手といっておこう)にとっての料理の意味はそこに帰結する。この連載ですでに述べたように、乳幼児を抱えたポストマタニティママにとって、料理を規定する要素は子供でしかない。それがエンプティネストになるまでは継続していくのである。標準的にいえば子供ができて初めて料理を始めるのである。

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