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広告・メディア界の礎を築いた人々

テレビ・ドキュメンタリーの創生期を支えたプロデューサー、牛山純一・萩本晴彦

岡田芳郎

インターネット、ケータイなど多様なコミュニケーション手段が普及し、テレビ離れが叫ばれるようになって久しい。しかし、テレビが今日も日本において最強・最大のマスメディアであることはまぎれもない事実だ。日本でテレビ放送が開始されたのは1953(昭和28)年。60周年を迎える2013(平成25)年の今、テレビメディアの草創期に活躍、現在の姿を築き上げた先人の志と業績をたどることに、テレビ、そしてマスメディアのこれからを考えるヒントがあるのではないか。立ち戻るべき原点と、新たな可能性を探る。

テレビ・ドキュメンタリーの礎『ノンフィクション劇場』

牛山純一(1930年2月4日~1997年10月6日)は、志の高いテレビ・ドキュメンタリー作家である。代表作『ノンフィクション劇場』『すばらしい世界旅行』をはじめ、優れたドキュメント番組を数多く企画・プロデュースしたが、それとともに日本映像カルチャーセンターを主宰し、日本と海外のドキュメンタリーフィルムの保存・公開に力を注いだ。

民放初のドキュメンタリー・シリーズ番組といわれる『ノンフィクション劇場』(日本テレビ)は、"人間くさいドキュメンタリー"を目指した。ドキュメンタリー番組として先行していたNHKの『日本の素顔』が事実の記録の積み重ねによって仮説を検証しようとする知的で社会性を意識する作り方を行っていたのに対し、『ノンフィクション劇場』は、作家性、署名性を重視し、劇的で熱い作品づくりを行った。いわば「テレビにおけるルポルタージュ文学とでもいった新分野の開拓」を志向したのである。ノンフィクション劇場の中で最初に大きな話題となったのは、西尾善介監督による「老人と鷹」(1962年1月25日放送)だ。

老鷹匠の孤独な暮らしと獲物を追う鷹のダイナミックな動きをリアルに描いた傑作で、その詩的な映像は見るものに強い印象をあたえた。この作品は、同年のカンヌ国際映画祭テレビ映画部門でグランプリ、民放大会賞番組部門(テレビ報道社会)で最優秀を受け、一躍この番組が脚光を浴びるきっかけとなった。

「忘れられた皇軍」(1963年8月16日放送)は、大島渚が監督した問題作である。韓国・朝鮮人問題に正面から取り組み、元日本軍の在日韓国人傷病軍人などが戦後、正当に保障されていないことに鋭く抗議した。これは無自覚な日本人、日本社会に対する自己批判でもあった。この作品は、第1回ギャラクシー賞(教育教養部門)、民放大会賞番組部門(テレビ報道社会)優秀を受賞した。牛山純一は、自らが『ノンフィクション劇場』の中で1本選ぶとしたらこの作品だと語っている。

1965年5月9日に放送された「ベトナム海兵大隊戦記・一部」は、牛山純一の制作・監督になる意欲作だが、この作品が『ノンフィクション劇場』の方向を変えた。

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