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広告・メディア界の礎を築いた人々

自身のコンテンツを徹底的に追及した吉田直哉・澤田隆治

岡田芳郎

広告費の削減や人々のマスメディア離れが言われ始めて久しいが、それでもなお今日の日本において広告・メディアの力はその強さを持ち続けている。その力は、先人たちから脈々と受け継がれてきた精神、そして技術を発展させることによって成り立っているにほかならない。先人たちの優れた功績を見つめ直し、原点に立ち返ることで、広告・メディア界の現在、そして今後を考える。

第二十四回 自身のコンテンツを徹底的に追及した吉田直哉・澤田隆治

コンセプトを深め今日的メッセージを発信

吉田直哉と澤田隆治はテレビ制作者として枠を超えた働きをした人物だ。吉田はテレビのドキュメンタリーとドラマのあり方を常に問いかけ、澤田はテレビの笑いを徹底的に掘り下げた。二人の苦闘の先にこれからのテレビの道が示されている。追求する思考力と大胆な実践力は後進に引き継いでいかなくてはいけないものだ。

吉田直哉(1931(昭和6)年4月1日~2008(平成20)年9月30日)は、考えるプロデューサー、ディレクターである。大声で全員を叱咤する現場指揮官よりも一人書斎で本を開いている方が似合う風姿だ。だが実際の仕事はかなり激しく、挑戦的だった。素材の魅力に頼らず、コンセプトをいかに深め映像化し今日的メッセージを発するかに心を砕いた。吉田はまず仮説を立て、それをもとに発想を展開する。

1957(昭和32)年、吉田はテレビ・ドキュメンタリー・シリーズ『日本の素顔』シリーズの制作を開始した。その第2作『日本人と次郎長』は、「日本人のメンタリティの多くの特徴がヤクザの世界に凝縮されているのではないか」という仮説に基づいて企画された。共同体としての日本の特徴は政界も財界も学会も組み立てはみな同じなのではないか、と考えたのだ。

正統派やくざ上萬一家の志村九内親分を説得し、全面的な協力を取り付けた。親子の盃がための儀式、入れ墨を彫る情景、賭場、ヤクザの喧嘩、手打ち式などふつうの人が入り込めぬシチュエーションを撮影した。

最大のヤマ場、賭場の撮影には本物の紙幣を使いヤクザたちが丁半と花札を使う賭博を映した。事前に警視庁に相談し、実際の賭博行為が行われなければ問題ないとの了解のもと行ったという。「この渡世は顔を重く見る稼業だと、ヤクザはなにより顔を大事にします。これがヤクザにとってなにより大事な、その顔です」と、親分たちの顔をクローズアップさせ、続いて、「だが政財学界から会社の中まで、これを笑える世界があるだろうか」とコメントは続く。吉田のテーマが浮かび上がる。

1963(昭和38)年、吉田のドラマ初演出作品『魚住少尉命中』は、人間魚雷『回天』の発進から命中までの33分15秒をリアルタイムで描いたドキュメンタリータッチの1時間番組だ。

潜水艦内部と『回天』、今と過去とを交錯させつつ1秒1秒切迫してゆく時間を描いた。吉田がまず驚いたのは、人間魚雷が発信してから命中するまでの時間の長さだという。魚雷なのだから人間が操縦するにしてもほんのわずかな時間だと思っていたが、実際は長距離を走ることに意味があった。アメリカ軍の高性能レーダーをかいくぐるには、母艦である潜水艦がレーダーに捕捉されない位置から魚雷を発進させなければならなかったのだ。魚雷は目標との距離が3000メートルを越すと命中率が激減し4000メートルになるとほとんど当らない。

魚雷を人間が操縦する発想はそこから生まれた。そして『回天』の目標は戦艦や空母ではなく油槽船だった。B29の本土空襲をすこしでも減らすため飛行機の燃料を襲うのが目的なのだ。潜水艦隊生き残りの乗組員が、「敵の大型戦艦だって、いまさら沈めたって仕方がない。

それより、タンカー。大事な命と引き換えにしても仕方がないのは、タンカー。少しでも空襲を減らせる。みんな、そう思っていましたね。

いまの時代ではもう、まったくわからんでしょうが...」と語っている。吉田は、ここにメッセージを聞いたのだろう。

時代劇ではない新しいスタイルを生んだ

1965(昭和40)年、大河ドラマ第三作『太閤記』の演出にあたり、吉田は、「私の仕事は、人びとが本当に生きたから自然に生まれていった、その歴史というドラマを再現することにあります」、「そうなれば、遠い時代の死んだ物語ではなく、身近で活き活きとした物語になるでしょう。そして、登場人物たちの当面する問題は、我々にも共通の問題になるはずです」と書いた。それまでの「時代劇」ではない「歴史ドラマ」というスタイルが誕生したのである。

大河ドラマは、それまで『花の生涯』『赤穂浪士』と続き、豪華キャストが呼び物であり、大型時代劇と呼称されていた。吉田は、主役たちには有名スターではなくすべて無名の役者を起用した。秀吉に新国劇の若手、緒方拳、信長に文学座の新人、高橋幸治、ねねに新人の藤村志保、三成にまだ慶応の学生、石坂浩二を起用した。

彼らは一年の長丁場の間に成長し、スターになってゆく。

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