【あらすじ】
役員が35億円を使い込むという不祥事を起こした小角自動車。広報コンサルティング「咲良広報オフィス」を訪れた同社の広報は、記者会見以外の選択肢を咲良修一に求めるが、咲良はそれを一蹴した。それからしばらくして、咲良は小角自動車で常務取締役の丹後志郎と対峙する。そこで丹後が咲良に求めたことは……。
広報は企業の“姿勢そのもの”
夕陽に照らされた外壁が黄金色に輝いている。近づく者を拒絶するかのように重厚な建物の入口では、制服の警備員二人が威圧的な雰囲気を醸し出している。10年前はいなかったよな、と思いながら警備員に来訪の目的を告げる。
「咲良様」受付の女性が笑顔で声をかけてくる。「こちらへどうぞ」セキュリティゲートを通過しエレベーターに向かう。以前感じた空気の淀みがない。受付フロアも隅々まで掃除が行き届いている。受付の女性が応接室まで案内してくれた。「やけに静かだなあ」ここに来るまでに挨拶を交わしたのは警備員と受付の女性だけだ。人の気配が感じられない。
値の張りそうなソファに座る。ドアがノックされ、さっきとは違う女性がコーヒーを運んできた。「今しばらくお待ちください」と笑顔をつくる。10分近く待たされ再びドアがックされる。長谷部がドアを開けたまま誰かを待っている。
「いやーどうもお待たせしました」小太りの男性がよく響く声で挨拶してくる。長谷部と一緒に事務所にきた佐久間が後ろに続いている。「お噂は長谷部から聞いています。はじめまして丹後と申します」咲良は簡単に自己紹介すると名刺を交換した。“遅くなって申し訳ありません”の一言はないのかと少しイラッとする。受け取った名刺には「小角自動車 常務取締役 丹後志郎」と印刷されている。
「さあ、どうぞ」丹後が、咲良が今まで座っていたソファを勧める。「それでね、咲良さん」丹後が顔を引き締める。「弊社の役員のことでご相談をしたいと思い、お呼びだてしました。お恥ずかしいことではありますが簡単に申し上げれば使い込みです」「三五億は使い込みのレベルを超えていますよね」苦笑するしかない。「お恥ずかしいかぎりです……」丹後が苦虫をかみつぶした顔をしてみせる。御社のチェック機能は働いていないのか、咲良は言葉をのみ込む。
「咲良さん。記者会見をしないで済む方法はありませんか」丹後がソファに背中を押し付ける。脚を組むと、方法を答えるまで帰さないよとでも言いたげに上目遣いに咲良を見てくる。
「今回の件が世の中にどれほどインパクトがあるか、お考えになったことがありますか?」「もちろんですよ。それぐらい想像できる」「どのように?」「記者会見をすれば、メディアは大騒ぎして報道する。瞬く間に広がり会社の信用がなくなる」丹後は言いながら長谷部を見ると「なあ長谷部君」と同調を要求するような視線をおくる。
「その通りだと思います」長谷部に選択肢はないようだ。想像していたとおりの小角自動車の実態を見せつけられる。口角が上がってしまう。「何が可笑しいんですか」長谷部が怒りを滲ませた口調で言ってくる。「記者会見は、御社が引き起こした今回の事実を取り上げるだけですよ」「記者会見をすれば、火の中に飛び込むようなものでしょ!」長谷部が声を荒げる。咲良の表情は変わらない。
「我々は記者会見をする必要はないと思っているんですよ」丹後が睨めるような目つきで見る。「では……私にできることはないですね」これで失礼しますというと床に置いたバッグを持ち立ち上がる。「ちょ、ちょっと待ってください」長谷部が狼狽する。両手を突き出して引き留める。
「なんの真似です?」ゆっくりと長谷部と丹後に視線を這わす。「まあまあお座りください」丹後が手を上下に揺らしソファに腰をおろすよう促す。咲良がソファに落ちつくのを待って「記者会見以外でなんとか乗り切れる方法はありませんか」と切りだす。「先ほども申し上げましたが」咲良は表情を変えずに丹後を熟視する。「私ごときを引き留めるなら弁護士の方に相談したほうがいいでしょう」なぜここまでして自分に相談してくるのか疑問だった。あるとすれば……。
「顧問弁護士にはもちろん相談していますよ」「であればその方に相談されてください。法律的な視点で毅然と対応してくれるでしょうから」「法律的な面での対応は淡々と進めればそれでいいんです。会社は被害を被った側ですし心配はしていません。使い込んだ役員をクビにすればいい。問題はその後なんです」「ブランドの毀損とメディアの反応ですか」咲良が答えをいうと丹後が首肯する。
「御社の理想は、使い込んだ役員を解任した後、メディアに資料を配って広報の説明だけに留めたい。社長さんを記者会見に出して恥をさらしたくない。社長さんの意にそぐわない記者会見でも開こうものなら自分の立場も危うくなる。だから記者会見は開きたくない」丹後の表情が険しくなる。否定してこない。社長が記者会見を拒否しているのだろう。
“上に媚びを売って世渡り上手にならないと、この人みたいには出世できないんだろうなあ”目の前にいる男の顔を凝視しながら咲良は哀れみを感じる。仕事の楽しさなど忘却の彼方に棄て去った自己保身の塊に見えてくる。「伏してお願いします」これが丹後の、いや小角自動車としての姿勢とは……逆の意味で恐れ入る。
「記者クラブではなく…