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広報担当者の事件簿

降って湧いた商品偽装疑惑 「川上蒲鉾」四代目の誇り〈前編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    宮城県石巻市にある小さなかまぼこ屋「川上蒲鉾」。4代目社長の川上有希は、営業の井沢真也と二人、降って湧いた商品偽装の疑惑に頭を悩ませていた。社長室で一人になった有希は、今は亡き義母・佐知子と夫・諒太の写真に思わず話しかけた。そこに一本の電話が入る。相手は、テレビ東北の中丸という記者だった。

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    私が守ってみせるから

    摺りガラスがはめ込まれたドアが開く。「おかえりなさい」パソコンに向かっていた高瀬真子が、営業の井沢真也に声をかける「はい、これ」井沢が手にした紙袋を高瀬に差し出す。塩大福が美味しいと評判の店だった。「これ食べたかったんだあ」「工場の人たちにも渡してくれよ」包みを開けると二〇個ある。「了解!」声を弾ませる高瀬の姿に微笑みながら、井沢は社長室のドアをノックする。社長室といっても事務室と扉一枚隔てただけの簡易なつくりだった。

    「どうだった?」社長の川上有希が不安げな声で訊く。「ダメでした」「そう……」「責任の所在はともかく、商品が偽装されていたことに変わりはないだろうって」井沢は小声で話すと、大きな溜息をつく。「何を言っても仕方ないわね……ありがとう」有希が落胆の感情を隠して井沢を労う。

    「ほかの取引先にもお願いしてきます」井沢が腰をあげてドアノブに手をかける。「待って、今日はもういいわ」有希は微笑みを浮かべていた。「でも社長、このままだとどんどん取引を打ち切られますよ」「今は我慢よ。ちょっと考えさせて」諭すように言う。「分かりました」納得はできないが社長が言うなら仕方ない。井沢は自分に言い聞かせた。



    一人になった有希は、椅子に座りなおすと机の上にある2枚の写真立てに話しかける。「こんなとき、どうすればいい?」一枚には義理の母親である佐知子が、もう一枚の写真立ての中では夫の諒太が微笑んでいる。「笑ってばかりいないで、なんとか言ってよ……」有希がわざとふくれっ面をつくり怒ってみせる。次第に諒太の顔がぼやけてくる。

    「二人ともたまには相談させてよ」二枚の写真立てを顔に近づけるとそっと目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。「このまま終われない。お義母さんが守ってきたお店を諒ちゃんと受け継いだんだもん。守ってみせるから……見ていてね」

    返事がないことは分かっている。それでも有希は、二人が空から見守っていると信じている。井沢をはじめ頑張ってくれている従業員もいる。〝弱気になっちゃだめだぞ〞諒太の声が聞こえた気がした。



    黒南風(くろはえ)の日が続いていたが、ここ数日は穏やかだった。鹿島御児神社で手を合わせてから太平洋を一望できる場所まで歩く。梅雨の晴れ間から降りそそぐ光が水面を照らしていた。「きれい」尾田原有希がつぶやく。「諒太はここで育ったんだね」石巻に有希を連れてきたのは二回目だが、この場所を訪れるのは初めてだった。嬉しそうな笑顔を向けてくる。有希と交際してまだ一年だった。

    高校卒業まで地元で過ごした諒太にとって、東京の生活は驚くことばかりだった。生活のリズムが違うのは仕方ないが、なにより食材の豊富さに驚かされた。野菜、肉、魚介類。全国の食材がいつでもどこでも食べられた。〝恵まれた環境は、工夫の知恵を後退させる〞と小さい頃から父親に言われてきた。恵まれた環境のほうがいいに決まってるじゃん。父親の言葉の意味が理解できなかったし、理解しようともしなかった。東京に出た頃には頭の片隅にも残っていなかった。



    「おかえり」母親の佐知子が玄関で出迎える。「ただいま」「有希ちゃん、いらっしゃい」「お邪魔します」お辞儀をした有希が玄関の三和土で靴を脱ぐ。「いらっしゃいじゃないよ」佐知子をみて諒太が微笑む。「あらそうだったわ。今日からよろしくね」「こちらこそよろしくお願いします」

    「玄関先でやってないであっちに行こうよ」まだお互いによそよそしい二人をみて、諒太がリビングを指さす。リビングに飾られた祖母と父親の遺影に手を合わせる。結婚式は行わず、籍を入れるだけにしようと二人で決めた。「二人で決めたことだろうからいいんじゃない」佐知子は諒太と有希の考えを尊重してくれた。

    諒太の中で震災の傷はまだ癒えていない。佐知子も、そして被災地の誰もが同じ想いを抱いている。「お店は?」「今日は定休日」諒太の実家はかまぼこの製造販売を手がけている。二人のパート従業員を雇い、何とか切り盛りしている。毎朝四時には自宅と棟続きの小さな加工場に入り、九時の開店に間に合わせる。小さい頃から見てきた光景だった。変わったのは祖母と父親の姿がないことだった。

    「おじいちゃんとおばあちゃんが始めたこの店を終わらせたくはないからね」以前、佐知子がポツリと言ったことがあった。家業を継ぐことなど想像もしていなかった学生時代を思い出す。「これからよろしくお願いします」諒太が言うと有希も改めて母に向けて頭をさげる。「三人でこの店を守っていこう」佐知子が笑顔になる。



    有希とは同じ学部だった。大学を卒業して二年が経った頃、カフェで偶然隣り合わせになった。お互いの近況を確認し合った別れ際、「今度、食事でもどう?」諒太の誘いに有希は嬉しそうに頷いた。何度か食事をするうちに諒太から交際を申し込むと「もちろん!」と笑顔をつくった。

    しばらくしてから有希に自分の夢を語ったことがある。「家業を継ごうと思っている」女手ひとりで自分を育ててくれた母親を楽にしてあげたいし、実家を継ぎ、大きくしたいという夢も抱いている。「というわけで、いずれは実家に戻ろうと思ってるんだ」有希といつか一緒になりたいとは思っていたが、実家を継ぎたいと言えばきっと目の前からいなくなるだろうと朧げに考えていた。

    「私にも一緒に諒太の夢を叶えさせてよ」二人でご飯を食べていたとき、有希が半分おどけながら言った。「東京と違って石巻はなーんにもないんだよ。三日でいやになってしまう」困り顔をしてみせる。「別れるって言いたいの?」有希が少し怒った素振りをする。「いや、そうじゃないけど……」諒太が言葉を濁す。「じゃあ、どうなの」まっすぐな視線を向けた有希が諒太の言葉を待っている。

    「できれば石巻に一緒に来てほしいと思っている。だけど……」「だけど?」有希がいたずらっぽい顔をしてみせる。諒太が言おうとしていることは予想できた。〝田舎のかまぼこ屋は嫌だろ〞思ったとおりの言葉を口にする。「ねえ諒太。モノづくりって職人さんがいて成立するものだよね。かまぼこも同じじゃない。諒太のお母さんがいて職人さんがいる。みんなで守っているお店を受け継ぐ諒太の気持ち、素敵だよ。その夢、一緒に叶えさせてよ」真剣な眼差しを諒太に向ける。

    「でも……」「私じゃ不満?」少し怒ってみせる。「そうじゃない。田舎の水が都会育ちの有希に合うか心配なだけ」「だったら一度、諒太が育ったところに連れて行ってよ」「いいのか?」不安げな顔で諒太が有希を見る。有希が笑顔で答える。「いいに決まってるじゃない!」



    「弱気になんかならないよ」諒太と佐知子の写真を見てつぶやく。「川上蒲鉾の四代目ですから。負けてたまるか……」目元をハンカチで拭う。ドアの向こうで誰かがノックしてきた。有希が少し間をとり「どうぞ」と言うと、事務員の高瀬が入ってくる。「テレビ東北の方から電話が入っているんですが……」「テレビ?」何だろうねと訝しむ。

    「用件はまだ聞いていませんが、聞いてみますか?」「いいわ、こっちに回して」あの件かなと思いつつ、軽い口調で言う。「分かりました」高瀬が頭を下げるとドアを閉めた。「お電話変わりました。社長の川上でございます」慇懃に話してみる。「はじめまして、テレビ東北記者の中丸といいます。御社の商品のことでお訊きしたいことがありお電話しました」やっぱりそうか……有希が身体を硬くする。

    「うちの商品のことですか」「御社のかまぼこに使われている原料に表記されている内容、つまり使われている魚が違っているという情報提供がありまして」車のエンジン音や人の声が聞こえてくる。おそらく外からかけてきているのだろう。「どなたからの情報ですか?」有希はダメ元で訊いてみる。「それは言えません」予想どおりの答えがかえってくる。

    「そうですよね」有希が言うと「すみません」と中丸が申し訳なさそうに謝ってくる。「こちらが言えないと言いつつお聞きするのも変ですが、仕事なのでお許しください」メディアの取材は何度か受けたことがあるが、中丸のような記者は初めてだった。腰の低い記者が相手だと硬くなった身体が少しだけ緩まるのを感じる。

    「包装表記と違う魚を使っていたかどうかの確認です」何と答えたらいいのだろうか、正解を知りたい。「かまぼこにはいろんな種類の魚が入っております。うちの商品でいえば、ぐち、いとより、スケソウダラ、吉次、真鯛などですが」「御社のホームページを拝見しましたし、他社さんにもお訊きして存じ上げております」中丸がゆるく圧をかけてくる。

    「御社の商品に、『特選川上』という商品がありますよね。包装表記は吉次、真鯛です。国産と明記もされています」中丸の説明を聞きながら唾をのみ込む。「それが違うという情報が入ったもので」やわらかい口調で言ってくる。「現在、確認している最中でして……」テレビで聞いたことのある言葉を口にするのが精一杯だった。「確認しているということは、疑いがあるということですね」「……いや、念のため確認しているという意味です」「違うこともあり得ると?」間をおかずに言葉を継いでくる。

    「ないと信じています」「ですが違っていたら」「違っていたら……」「偽装ということになります」中丸の言葉が現実を突きつける。机の上で二枚の写真が微笑んでいた。

    <つづく>

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    *この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。

思考が内向きになっていないか
ファミリー企業にこそ忌憚なき議論が必要だ

終身雇用制度が瓦解した日本。これからは個人のスキルアップはもちろん起業、転職、副業といった自己実現に重きを置く時代となる。

日本企業の約9割がファミリー(同族)企業といわれている。代表的なのは、トヨタ自動車やサントリーといった有名企業だ。しかし、創業当初はまったくの無名であり「得体の知れない会社」だった。創業者の探求心と熱意、何より目標をぶれずに進んだ結果が現在の礎を築いてきたといえる。

社会に長く愛されるファミリー企業には、業績向上だけでなく後継者が必要だ。若いうちから会社の重要ポストに就かせて創業者や先代が育てる。また、多くの株式をファミリーで保有するため、経営決定権を持ち、時代の変化に即した変革を素早く実行している。

99%以上が中小企業の日本は、ファミリー企業が溢れているといえるかもしれない。大企業となり上場したファミリー企業とは違う弊害も出てくる。

小さなファミリー企業の弊害

例えば、「創業者の独断が危機を起こしやすい」あるいは、「同族で固められた役員や管理職がなかなか入れ替わらず、従業員のモチベーション低下で事業が停滞する」。そして、「風通しが悪いため情報共有が図られず、危機が起きてから慌てふためく」といったネガティブな行動が目につく。

「この会社は何のために、誰のために存在しているのか。この会社は社会の役に立っているのか」経営者だけでなく従業員も含めた全員が、内向きになりがちな思考をチェックし合い、忌憚のない議論を重ねていくことが求められる。

今回は、地方都市・石巻のかまぼこ屋「川上蒲鉾」が舞台。大学時代に知り合った川上諒太と尾田原有希。諒太には母親の佐知子が守り続けている店の看板を継ぐという“夢”があった。有希はその夢を一緒に叶えるため、石巻の地で新たな一歩を踏み出した。

事業を行っていれば、いい時期も、うまくいかない時期もある。時にはマイナスからスタートしなければならない場面さえある。社長となった川上有希が置かれている立場は、まさにうまくいかない時期だった。

じつは、諒太の祖父母が始めた川上蒲鉾に商品偽装の疑いが生まれていた。有希は営業の井沢真也と水面下で事実確認を進め、対応を検討していた。そんなとき、テレビ東北記者の中丸から一本の電話が入った。

メディア対応に慣れていない者にとって、記者からの突然の追及は恐怖でしかなく、思考が止まってしまう。「現在、確認している最中でして……」有希は、テレビで聞いたことのある言葉を口にするのが精一杯だった。「確認しているということは、疑いがあるということですね」「(もし違っていたら)偽装ということになります」中丸の言葉が現実を突きつける。

川上蒲鉾は本当に商品偽装をしたのか、4代目として看板を守る有希は窮地を脱することができるのだろうか。次号につづく。

小説・解説/アズソリューションズ 代表取締役社長
佐々木政幸(ささき・まさゆき)

JTにて広報全般を担当。事件・事故時をはじめ、M&A案件の広報対応を中心に反社会的集団への対応も経験。同社広報部課長・次長・リーダーを歴任。2005年に退職後、危機管理分野を中心としたコンサルティング会社「アズソリューションズ」を設立。
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