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広報担当者の事件簿

事実を正確につかみ咀嚼 現場で確実に把握するが肝要

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    買収後にその姿を現した“土壌汚染”という名の影〈前編〉

    【あらすじ】
    繊維業界大手の五国繊維株式会社は、生産量の増加と輸送コスト低減を狙い、化学薬品企業・兵庫化学の姫路工場を買収。警備員の山嵜光太郎が深夜の見回りをしたある日、使われていないタンク付近で異臭に気付く。見ると、地面に謎の液体がにじんでいた。報告を受け、本社から広報の会沢琢也らが現地へ向かった。

    地中からにじみ出た液体

    「そろそろ巡回に行ってきます」山嵜光太郎は先輩警備員の田布施人志に告げてドアを開ける。つい一カ月前まで半袖だった制服は長袖になり、日が暮れると気温も一〇度を下回って空気がひんやりとしてくる。すこしずつ冬が近づいていることを肌で感じる季節になった。

    決まりはないが、一万二千坪ある敷地を一時間かけて巡回するのが山嵜のやり方だった。敷地内には原料や燃料の保管タンクが大小合わせて二十以上、屋内を合わせれば三十以上に上る。万が一にも事故につながれば大惨事は免れない。

    トラックが頻繁に行き交う昼間に比べて夜の巡回はいつも緊張する。ハンドライトを片手に持ちながら前を照らし歩く。建物の周囲から少し離れるとそこは闇。所々、足元が見えない場所もあった。「ん?」わずかな異臭が鼻をなでる。「何だろう、この臭い……」異臭がする方向にハンドライトを向けてみるが目につくものは特になかった。一昨日までは感じなかった臭いだ。深夜の巡回は一日おきに回ってきていた。

    警備員として採用されてから二年間、巡回経路を決めている山嵜にとって少しでも異変があればすぐに気付く。以前も異音がしていた化学原料タンクのわずかな劣化を見つけたことがある。場所は違うが今回もタンクだった。「ひと回りしてからまた来てみるか」呟きながら先を急いだ。

    「気になる所があるんでちょっと見てきます」警備員室で従業員の出入りを確認していた先輩の田布施に告げる。「どこだ?」「A3のあたりなんですよ」工場独自に設けられた警備区分けでは敷地の最奥部に位置し、正門から最も遠い場所だった。「一緒に行こうか」「ここを空けるわけにはいかないんじゃ」警備マニュアル上、深夜でも警備員室には誰かいなければならない。「これから出社する社員はいないよ。駅からのバスも朝まではないから大丈夫だろ」田布施が言いながら“巡回中”のプレートを窓に立てかけた。

    「何だこれ?」田布施が地面に指を滑らせる。「液体が浮いてきてる感じですね⋯⋯」「色はないな」ハンドライトを当て、すくった液体を顔に近づけた田布施が色を見分けた。わずかに、にんにくに似た刺激臭が鼻腔を通過する。二人はほぼ同時に白いペンキで書かれているタンクの名を読み取ろうと見上げる。「使用休止」のプレートが貼られている。

    「そういえばこのタンク、半年は使ってないですよ」「タンクに残っていたのが漏れたんじゃないのか」「漏れてたら自分が分かります。一日おきに巡回していますから⋯⋯」「俺もな」山嵜の言葉に田布施がムッとしながら返す。「すいません」山嵜が頭をかく。「お前には実績があるからな。今日になって気が付いたのか?」「一昨日まではありませんでした。液体も臭いも」「だとしたら何だろうな」ひとつの可能性が山嵜の頭をよぎる。「地中⋯⋯でしょうか」二人が立っている場所はアスファルトで整備されていた。

    地中から染み出たとすれば土からアスファルトを通過して地上に到達したことになる。自分の仮説が間違っていてほしい。山嵜は最悪のケースを思い浮かべる。「総務、夜勤の誰かいるかな」田布施が指をハンカチで拭う。山嵜がスマートフォンで現場を写真におさめる。「水⋯⋯じゃないよな」「水であってほしいですけど⋯⋯」二人は警備員室へ急いだ。

    「場所は?」「報告によれば、A3タンク付近のようです」取締役で総務部長の橋本力が社長の右田龍太郎に説明する。繊維業界大手の五国繊維は、今年五月に化学薬品業界の中堅である兵庫化学の姫路工場を買収していた。生産量の増加と輸送コスト低減が狙いだった。買収した工場は兵庫化学姫路工場の名をそのまま使用し、「姫路工場」とした。

    今朝、姫路工場総務部から工場敷地内にあるタンク付近から異臭がすると報告が上がっていた。「買収後、タンクは稼働させていません」「地中からか⋯⋯」親指と人差し指を顎に当てながら右田がつぶやく。「事前の調査はやっていたな」問いかけに橋本が資料をめくる。「異常は見つかりませんでした」無視するように右田がゆっくりと資料を見る。「所見も問題ありませんでした」右田が最後のページまでめくるのを待って橋本が言う。「だが、異臭はしている」浅黒い顔をした右田が双眸を向けてくる。

    「報告を受けてすぐ原材料部と品質管理部が現地に向かっています」研究職だった右田は何が起きているのか把握しているような顔つきだった。「最悪のケースを想定しなければならないかも知れないな」「調査を待って判断したいと⋯⋯」「それでは遅い!」社長室に右田の声が響く。「調査を待つ?いつになるんだ。そうじゃない!最悪のケースを想定しておけと言っているんだ。事なかれ主義、責任転嫁。この会社に長年はびこってきた悪い習慣は捨てろ。時間はかけるな。責任は私がとる」初めて目にする右田の迫力だった。

    「メチルパラチオンが検出されました。最大で基準値の百倍...

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