この世には「バカ」がつくほど愛される、PR上手な商品・サービスがある。そんな「PRバカ」と呼べる存在を求めて、筆者が仕掛人を訪ねていきます。
File:7 カシオ計算機「G-SHOCK」
カシオ計算機のデジタルカメラ事業撤退のニュースが届きました。1995年に大ブームとなった液晶搭載デジタルカメラ「QV-10」は、デジタルグッズ好きの私も当時愛用していたものです。その後はEXILIMブランドで軽量コンパクトなデジタルカメラを展開していましたが、スマートフォンの普及で需要や市場が縮小していきました。
今回取材させていただいた時計もまた、スマホの普及で市場が減っているように感じます。しかしながら、実はカシオの時計ビジネスは3期連続最高益を更新しているのです。ガーン、ショック。予想と違います。冒頭から親父ギャグですみません。というわけで今回は、「G-SHOCK」躍進の秘密を紐解いていきましょう。
アメリカでのブームがきっかけ
貴重品で壊れやすいものだった時計を「壊れない」というコンセプトで刷新したのがG-SHOCKでした。「タフネス」と「ヘビーデューティ」を掲げたG-SHOCKは、1983年にアメリカで売れ始めました。
技術的には、外部からの衝撃を5段階の構造で吸収するとともに、時計内部には点接触でモジュールを固定し浮かせる構造を採用したことで驚異的なタフネスさを持つ時計となりました。この丈夫さが話題となってアメリカで火がつき、日本に逆輸入されたG-SHOCKが販売される現象を引き起したのです。
「渋カジ」に代表される若者ファッションブームと同時に、カジュアルな時計として90年代に日本でも大ヒットとなりました。まさに私の世代はこの大ヒットの最中に学生生活を送っており、皆がG-SHOCKを持っているような流行を体験してきました。私自身は、その後ブームが去って商品としては収束しているだろうと思っていましたが、すっかり勉強不足でした。
広報部の半田ジャン絵里佳さんによると、1997年に日本でブームが起き600万台を販売したあと、徐々に販売台数が低下し200万台まで落ち込んだときもあったそう。しかし冒頭にお伝えしたように、現在は最高益・最高台数を記録しています。
その秘密は海外にありました。現在、海外と日本の売上比率は約7対3。もう日本だけのプロダクトではなくなっているのです。この数字は日本でプロダクトブランドを成功させ、海外に進出したいと考えている企業が目指している方向でしょう。
G-SHOCK成功の秘密は異業種参入ならではの強みが活きているところにもあります。G-SHOCKの広告を見ると、不思議なことに有名タレントがまったく登場していません。
時計の広告は有名人が身に着けている写真がキービジュアルで用いられることが多く、化粧品やファッションの業界では有名人がアイコンとなるのが当たり前です。しかしG-SHOCKは商品が無骨にトップを飾っています。異業種参入だからこそ、なし得た特徴なのかもしれません。野村周平さん、恒松祐里さんが出ている広告もG-SHOCKとBABY-Gのペアデザインモデルの広告に数カ月間使われるだけ。あくまでもプロダクトを押し出しているのです …