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広報パーソンのキャリアと働き方

東京から地元・福岡にUターン 地域でもPRのキャリアは武器になる

久原本家 倉富由佳さん

メディア露出の増加とともに広報体制を整えてきた久原本家グループ。2011年に入社した菅原武春さんが広報体制をつくり、2017年からはPR会社出身の倉富由佳さんと独自の広報のあり方を模索している。

久原本家グループ本社
マーケティング本部 広報宣伝部
倉富由佳(くらとみ・ゆか)さん

福岡県北九州市出身。産業機器を扱う商社での営業、美容専門PR会社でのPRコーディネーターを経て2017年久原本家グループ本社へ入社。広報宣伝部へ配属となり、広報担当としてブランドPRと企業広報を担当する。

明治26年創業で、「椒房庵(しょぼうあん)」「茅乃舎(かやのや)」「くばら」など数々の人気ブランドを持つ久原本家グループ(福岡県久山町)。2000年ごろからメディア露出が増え始めていたものの、専任広報が設置されたのは2011年。倉富由佳さんが入社した2017年にはマーケティング部門から広報宣伝部門が独立し、2人のメンバーが広報を担当している。

まずは広報体制づくりから

同社でいちから広報体制を築いたのが、倉富さんの上司にあたる菅原武春さんだ。サントリーや養命酒製造などで20年以上にわたり広報やマーケティングに携わってきた菅原さんは、東日本大震災をきっかけに、それまでの価値観を見直し、地元にUターンする形で入社。現在はマーケティング本部 広報宣伝部の部長を務めている。

「当時はメディアリストすら存在せず、取材は『来たものをとりあえず受ける』という受け身の姿勢でした。メディア対応も本社のある福岡以外では、各店舗のスタッフ任せでした」と振り返る。「それまでは河邉哲司社長への取材なども担当者が同席せず、一人で取材を受けていたようでした……」。

菅原さんはまず、トップに広報の重要性を理解してもらうことから始めようと、すべての社長取材に同席。メディアから事前に企画書をもらって質問内容を確認し、河邉社長に想定問答をレクチャーするなど、取材対応の基本の流れを構築し、広報の基盤づくりを進めた。

地元での転職先探しに1年

2005年にスタートした「茅乃舎」ブランドは、口コミを中心に人気が広がり2010年に東京ミッドタウン店をオープン。それを皮切りに全国に進出するとともにメディア露出も増加していった。2017年には、広報体制を強化するため、9月に倉富さんが入社した …

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