「漁業に革命を起こす」をビジョンに掲げ、2014年に設立されたフィッシャーマン・ジャパン(宮城県石巻市)。仕掛け人のひとりである長谷川琢也さんが、立ち上げから現在までの取り組みを紹介します。

地元の若い漁師たちと長谷川氏(右)との出会いが、現在のフィッシャーマン・ジャパンの活動につながった。
2011年3月11日。私の34回目の誕生日でした。
14時46分、宮城県牡鹿半島沖を震源とする地震が発生。マグニチュード9.0。日本周辺における観測史上最大の地震。多くの建物が全壊・半壊し、普段私たちに様々なものを与えてくれる海が、あの日はすべてをのみ込んで奪っていきました。
関東で生まれ育った私は、3.11まで東北にも漁業にも縁はありませんでした。自分の誕生日に多くの人が大切な家族や友人を失い、帰る場所すら失っているのを想像するといても立ってもいられなくなり、体が勝手に動いていました。
今となってはいつから、何から始めたのかも覚えていませんが、私はいつの間にか縁もゆかりもない石巻という街に移り住み、話をしたこともなかった漁師たちと団体を立ち上げて「漁業に革命を起こす」などと大それたことを言いながら様々なプロジェクトを行っています。
漁業は三陸の主要産業
三陸の漁業は「世界三大漁場」と呼ばれる豊かな海のおかげで、古くから発展してきました。暖流黒潮と寒流親潮がぶつかるのが石巻の金華山沖といわれる海域で、そこには様々な種類の魚が集まります。また、三陸沿岸のリアス式海岸という地形は、山地が海の間近まで迫るため、森のミネラルをたっぷり含んだ山水が絶えず海へ流れ込みます。
それが海水と混ざりあうことにより、世界有数の植物プランクトンの発生地となります。これらの素晴らしい環境がそろうことで、天然の魚をとる漁業も、育てる養殖業も盛んに行われてきたのです。
震災による漁業の被害は甚大でしたが、あれから6年経ち、ようやく一部の数字が回復してきています。水産庁の2016年のデータによると、
● 水揚げについては、震災前年比(2010年を100%とする)で水揚量74%、水揚金額93%
● 漁港の復旧については、被災した漁港の99%が陸揚げ可能
● 漁船の復旧目標2万隻については、92%まで回復
● ワカメ、ホタテ、ギンザケ養殖については、被災前の約8割、コンブ、牡蠣養殖については約5割まで復旧
となっています。この数字を見て皆さんはどう思うでしょうか。思っていたよりも復興した、と思う人もいれば、まだ牡蠣は5割しか復活してないのか、と思う人もいるかもしれません。
数字だけではあらわれてこない、街や漁港、漁師の震災からこれまでの様々な物語があります。漁師でもなく、ましてやよそ者である自分は、当の本人たちと比べるとほんとうにほんとうに薄っぺらい、表層のことしか語れません ...